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元彼へのハッピーバースデーは翌日に。

今日は、元彼の誕生日なのだが、
毎年メッセージを送るかどうかを悩んでいる。
いや、悩んでいるというよりも、
送ってもよい理由を探しているといったほうが正しいだろう。


Lineでメッセージを送るのだが、
『送ったら迷惑だろうか…』
『でも気にかけてもらうのは嬉しいのではないか』
などと何度も何度もうじうじ悩む。

送るべきではなく、送ったところで返事もないので
意味がないことは頭では理解している。
もちろん、自分の誕生日に祝いのメッセージがくることもない。


断腸の思いで送らなかった年もある。
それは元彼を思っての行動ではなく、
送らないことで、相手を尊重し、愛を示そうという
気持ちの悪い自己犠牲の精神に悪酔いしていることへの自覚も一応ある。


そんなことを繰り返していたら、今年で別れて10周年となった。
さすがに、これは良くないなとは思っている。



元彼とは20歳の頃に出会い、10年ほど付き合ったあと振られた。
別れの理由は「普通になる」だった。
自分は男性で同性愛者であり、普通ではない。
そして、1年後くらいに元彼は結婚し、「普通」になった。



付き合うまでの経緯において少しハードルが高く、
付き合う先のゴールが曖昧
という以外は、普通の人達とさほど変わりはないと思っている。

しかし、普通になりたい、という元彼の気持ちはよくわかる。
元彼は結婚して、孫を見せ、当たり前の人生を示し、
親を安心させたかったから、自分は振られたのだと理解している。



元彼から結婚の報告はなかった。
当時SNSとして流行っていたFacebookで把握した。
(その経緯は、おどろおどろしいので、また後日機会があれば書く)
報告くらいあっても良いのにと思ったが、
それが普通ではない世界との決別の意思なのだろうとも思った。


そのため、自分が元彼にメッセージを送る際には
仮に奥様に見られても違和感を持たれないように注意してきた。
うらみつらみはあったが、元彼の普通になりたい気持ちは理解していた。

『誕生日は、家族で祝うだろうし、それに水をさすのも悪いだろう。』
『中年男性に、誕生日当日にメッセージくるなんておかしいと奥様に感づか れるかもしれない。』
『男性と付き合っていたことがバレるかもしれない。』

そんなことが心配だったので、あえて誕生日ではなく、翌日にLineをするようにしていた。
送る時間帯も、元彼が自宅にいないであろう日中に送るようにしていた。
見たらメッセージを削除してから家に帰ることができるように。

それらの行動を甲斐甲斐しいと思っている自分に、本当にぞっとする。


それでも、既読がつくことのうれしさ知ってしまうと、何度も欲してしまう。
本来であれば、そのような気遣いをするくらいなら、
一切連絡をしないことが元彼のためになることは承知している。

でも、それができない。


ここ数年はVoom(Lineのつぶやきサイトのようなもの)に投稿している。
元彼が自分の投稿に気付いても気づかなくてもよいか、
と思えるようにはなってきているのだが。


あたらめて自分の気持ちや行動を文章にしてみたが、本当に気持ちが悪い。
執着心の強さに呆れる。
奥様からしたら非常に不快だと思う。
元彼もいい迷惑でしかないと思う。

あー、でも、きっと明日送ってしまう。
今年は別れて10周年だから大目に見て欲しい。

元彼よ、46歳おめでとう!


読んでいて面白く書きたいのだが、難しい。
どうも説明ばかりになってしまう。
こんな文章公開していいのだろうか。

読んでいただきありがとうございました。

去年行った能登町のイカキング

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