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21週で総合病院へ転院

妊娠20週で切迫流産になり緊急入院した看護師かんこの入院生活日記です☺️

4歳になったばかりの息子
始めたばかりの事業の事で頭がいっぱい😂

不安な入院生活スタート。
振り返りながら、面白い話しがあったら、つぶやこうと思います😆

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2024年1月17日(水)

夕方前に主治医が来て、NICUのある総合病院へ転院することになる。

元々、その病院で生む予定だったので、私にとっては安心そのものだった。

主治医は申し訳ないと頭を下げていたが、私はとんでもないです。むしろありがとうございます。という気持ちだった。

ただここからが問題で、救急車で病院まで向かうとのこと。

荷物の片付けを助産師にバタバタと促され、息が上がる。

そうこうしてるうちに、すぐにサイレンの音が聞こえてきて、あ!私を迎えにきたってなった。

緊張が走り、薬を飲む。

すぐに救急隊がやってきた。

助産師は大声で、ここで〜す!と発する。

救急隊も急いでかけつけ、どういう状態ですか?など助産師に行くが答えられないため、私が全て答える。

いざストレッチャーへ。
心拍数みるみる上昇。
嗚咽...心拍数150でアラーム鳴る。

ものすごい緊迫した雰囲気に、気持ちがやられ、薬を飲んでも脈は落ち着かない。

救急車に乗るのを待ってもらい10分ほど経過。

それでも脈は落ち着かず150越えてる。
救急隊の人と外しましょうね、と気づかってくれた。

主人はいたが、寄り添ってくれたのは、若い助産師たち。

事務の人とか、いろんな人が集まって、
私の心はもっと緊張する。

私が救急車に乗れないから、みんなに迷惑がかかってる...

助産師に自己責任という事で、点滴外して、自家用車で行ったらダメか?と聞くと、主治医に電話してくれ、主治医が駆けつけてきてくれる。

一緒に着いていくよ?と言ってくれるが、そんな問題ではない。

救急車の閉塞感がダメなんだ。
パニック発作が出そうだった。

先生に自家用車で行くことを直談判し、自己責任で主人の運転のもと病院へ向かった。

病院までは10分もかからない所だったからだ。
お風呂に入る30分、点滴しないなら、どっちみち大丈夫じゃないか、そう思ったから。

主人の運転する車の中で、総合病院の主治医から電話がくる。

かんこさ〜ん!救急車乗らなかったって?いまどこ?

あぁ怒るよね...

もう着きますって話しして、主人が急いで車椅子を持ってきて、病棟まで上がってもらう。

主治医に会う。先生ごめん、乗れなかった。

かんこさん、そんなにパニック酷かったったっけ?
すぐに診察しよう。
でも救急車で来るより、よっぽと早いんだけど!

これから◯◯クリニックのとき、自家用車でもいいじゃん!なんて冗談を言ってくれる先生が、サッパリしてて好きだ。

診察してもらいながら雑談。
子宮頸管13mm。

え〜!いや大丈夫。
うちの病院は短い方で計測するから。
そんなに変わらないかなって言えば、変わらないよ。

そしてさ、情報提供書見たけど、12月の時点から元々短くなってたと思うよ!とエコー写真も見せてもらった。

本当だ...

まぁでも、現実、頸管長が短くて入院しないといけない事には変わりない。

診察後には、別の医師から、ムンテラ(病状説明)を受ける。

いま産まれたら赤ちゃんのいのちは助からないこと。
まずは25週を越えないといけないこと。
その時に生まれたとしたら、何かしらの障害が残ること。

28週を超えると少し安心して、8割は後遺症なく大丈夫だけど、後の2割は何かしらの障害が残ること。

次は34週を越えないと肺の機能がまだ未熟なため、呼吸器をつけて管理しないといけないことを説明された。

その後は手術の同意書やら、さまざまな書類にサインをする。

そして万が一のための術前検査。

全て検査は終わり、夕食時間。
病室は案内される。

頸管長が短くなってること、赤ちゃんがいま産まれたら命が助からないことを聞いた私は、気持ちがとても落ち込んでいた。

不安で主人に頻繁に連絡をとる。
とりあえず、25週を目標だね!って事になった。

絶対に安静にするので、まだ産まれてこないでと心の中で願い、その日は不安で眠れない長い夜だった。

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