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離弁花の覚え方

家の下のバス停で、来ない君を待っている。
いつも行っていた公園に、君の姿が無いかを確認する。

一緒にいつも上っていた階段を眺めている。
君の姿はどこにも


就職して3日経つと顎が開かなくなった。

桜と供に散って行ったやる気。

こんなに桜の花が散るのを悲しいと思った事なんかないのに。

俯いて歩いているから、散った桜の花弁ばかりが視神経を刺激する。

車とかバイクで通勤している人だったら嫌が応にも桜なんて気にもならずに通勤できるのに。

思わず前に走っていた車に轢かれそうになる。

僕はなんとも思わずに、小さな橋を渡って桜の花びらの上を蹂躙する。


僕は高校生の時に母に買ってもらった、使い古しのパスケースで

今日も高校生の頃からずっと同じ行き先の電車に乗り込む。

溜め息はもう出なくなった。

この町を馬鹿にしたことも卑下したこともあったけれど

結局僕はこの町に生かされていることを痛感する。

僕はここでしか生きられないんだと思う。

結局のところ正解なんかわからないけれど。


桜は離弁花である。


そんな事はどうでも良いんだ。

君がいなくなったこの町に僕はまだ居座り続けている。

君は僕のことなんか忘れてしまっているのかもしれないけれど

僕はこの町の至る所で君の面影がヨギル。

あそこでは、あそこでも、あの時、あの時の夏祭りは…。


大学を卒業して、ギリギリ教採にも受かって、

自分が天才だと思っていた頃とは想像もつかないくらい、普通に教員になって

普通に仕事はキツくって、普通に仕事の時間はギリギリだし

普通に昼ご飯を食べる時間なんて無く、普通に生徒の吐瀉物を片付けて

普通に授業中に寝ている生徒をスルーして、普通に上司の先生の愚痴を聞き

普通にこっちまでイライラしてきて、普通に週末はパチンコを打って一喜一憂して

普通に、普通に人生が終わりそうになっている。


そっか人生はこんなにも普通にキツいんだ。


こうやって体は壊れていく。

生きると言うことは壊れていくと言うこと。

これからはずっと壊れていくだけだ。

心も体も少しづつ、少しづつ壊れていくのを自認していく。


花が離弁花と合弁花あるのなぜなんだろう

花が散る時も周りの花弁と一緒の方がいいから合弁花の方がいいかな

と最初は思ったけれど、

たぶん離弁花の方が綺麗に散っていくのだろうと思った。

花弁は枯れることなく、綺麗なまま散ってしまう。

別れも綺麗なまま終わってしまうのがいいと思った。

ここまで桜について深く考えることは今までにはなかった。

よくないな。

桜になんて興味がなかったわけではないけれど

今年の桜が散っていくのがこんなに心を掴まれるのか。

桜の木が緑に変っていってしまうので

その前に僕が桜の木をピンクのペンキで塗ればいいのではないだろうか。

桜のことをこんなに考える時間があると言うことはつまり


暇なんやな、

俺は忙しくなっても、ずっと暇なんだ

結局俺はずっと変なことばかり考えている。


今日も俺は家に帰ると小学生の時から使っている勉強机で

明日の授業の準備をする。

明日は植物の花のつくりの授業である。


離弁花は例えば、、、

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