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上手な「文章」ってなんだ!!

最近ツイッターをやっているとたまに流れてくる画像がある。

右左に同じポーズを描いた絵があり、片方は×が、片方には〇と書かれている。
どうやら、×の方がダメで〇の方が「正しい」描き方であるらしい。

絵は見たそのままをリアルに描くだけでもバズったりするものである。
(それが超技術なのはわかっています、自分にはできないし)


では文章はどうか?


正しい言葉づかいと文法で書かれた文章が必ず多くの人を引き付けるかというと全然そうではないのである。

私は本をあまり読まない民なのでどういった文章が名文なのかという話はできない。
でもそんな私なりに心に残っている文章というものはあるのだ。

昔フィギュアや人形でで寸劇をしているブログが好きでいくつか見ていて、
その中でもシルバニアファミリーでお話を作っているブログでお気に入りがあった。

内容はラブラブなヒツジの夫婦とその息子、その他の動物の家族からなるほのぼのした話だったと記憶している。

私はそのブログが読んでいる中では一番「文章が上手い」と思っていた。
添えてある挿絵的なシルバニアの写真ももちろん良いのだが、
その中の文章を読み始めるとその場の空気感のようなものを感じ、引き込まれるとはこういうことかと感心したものだ。

中でも一番忘れられないのが、母の日だったか、お父さん陣が奥さんに感謝を伝えるという回だ。
主役のヒツジはもちろん、色んなキャラの感謝を伝える様子が書かれる。
そして最後はいつもは口下手なクマさんの番。
なかなかタイミングが計れずにいるが、やっとのことで言う決心をする。


「……ありがとう。」


「フフッ……もう一回言って?」


「……何度も言うもんじゃないぞ」


なんかこんな感じだったと思う(全然違ったら申し訳ない)
いや忘れられないとか言っておきながら忘れとるやん

しかしこれを読んで私は衝撃を受けてしまったのだった。
複雑な言い回しや緻密な伏線があるわけでもない。
なんならその前に無言のシーンも結構あったのになかなか言い出せないクマさんの緊張感や、言った後の恥ずかしいような、あたたかいような空気が伝わってきて、なんだこれはと思ったのだった。

私はシルバニアだとウサギやネコが好きで、クマは存在は知っていたものの特に気にしたことはなかった。
このブログでもあまり目立つ方ではなかったと思う。

メインキャラ補正や推し補正もなく、こんなに感情移入するのはなんなんだと。

一体この文章の何行の何文字からこの世界に入ってしまうんだ。
どこからこの匂いがしてこの声がして、この土を踏んでいるんだ。
びっくりして何度も読み返した。


その結果わかったことは……


「いやなんもわからん」


わからんのかよクソがよじゃあないんだよ。
こういうのはわかったって書く方が危ないから(自己正当化

なんとなく思ったのは、間というか、行間も文章の一部なんだなということ。
当然っちゃ当然だが間をあけない、一行、二行あけるでは読むリズムが違う。
それ以上開けるのはアメブロ。(偏見

あともうひとつ、当時学生だったので「良い文章ないし物語っていうのは口あたりが斬新でないと」という思想があった。
なにか真新しい要素がないと面白くないのでは、どっかで見たことある話なんてダルくてつまらんやろと。

しかし特に斬新でもなく、むしろどこにでもありふれすぎている、
むしろ刺激を求めている十代が読むと退屈に感じやすいこのテーマで現に私はこんなに衝撃を受けているのだ。
私の両親はあまり仲が良くなく、ありがとうなどと言ったところを見たことがないどころかケンカばかりであった。
もちろん自分も結婚もしていないので単純に内容だけをみれば感情移入できるような要素はない。
ところが、どこかで見たことある話であることによって自分にも「その経験の感覚」が蓄積されていると言っていいのではないかと思った。
お互いがどのような気持ちでこの行動、発言になっているのか。
それが定番の展開を入れることで最低限の文章でありながら感情移入できることの下支えになっているのではないかと。


私には文学コンプレックスがある。
小学生までは図書館にいるのが好きだった。
でも読むのは児童文学よりも写真や挿絵の多い雑学の本や学習漫画、エッセイが多かった。
中学生になるとそれらを読むのは幼稚な気がしてしまい小説をいくつか手に取ったが、自分に合ったものを見つけられず次第に本からは足が遠のいてしまった。
読書家が本や作家の話をするたび、自分はそこにはいけなかったという憧れと嫉妬のような複雑な感情が湧いて出るのだ。

私の文章や文章に対する考え方は〇と×に分けられたら×になってしまうかもしれない。
しかし分厚いハードカバーや本屋に並んだ文庫本のような本でない、
ネットの片すみにあったひとつのブログ記事で衝撃を受けたように、この文章を読んだ誰かにとってそのような存在になれたらと思う。


これを読んでいるあなた。

いま、あなたは現実の世界にいますか? それとも……


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