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光と闇、それはセカイで1番カッコいい言葉

ーあれは、10代の前半のことだろうか。
私は気づいてしまった。

“光と闇”という言葉のカッコよさに。

光あれば闇あり、光が強くなればなるほど闇も色濃いものになってゆく……
光よ、お前はどう足掻いても闇から逃れることは出来ぬ……
”本当の正義“など存在しない……この戦いに勝利したものが正義となるのだ!!
アーッハッハッハ!!!

私は真理を”識って“しまった。
私はその辺の、のうのうと生きているクラスメイトとは違うのだ。
私は”理解って“いる。普通の人間からしたら理解できんかもしれんがな……

厨二病の発症である。

その辺りから、自由帳は天使と悪魔の絵でいっぱいになった。
悪魔の武器である爪からは血が流れ、天使は眼帯や包帯を纏い、それらは両者の終わらない戦いを物語っていた。
身体がどんなに弱っても、彼・彼女らは、天使・悪魔であることを誇るようにその翼をしっかりと開いていた。

そしてその“影響”はもちろん白いノートなどという狭い“セカイ”だけに留まることはなかった。
“現実”への“侵食”が始まる……

某日、私は友人にある“告白”をした。


「血を見ると……自然と笑みが溢れちゃうんだ……」


光と闇の聖戦も血を血で洗う”セカイ“なのだ。
いや、むしろ血を……求めている、のかもしれない……

それを聞いた友人の反応、それは……



だった。
”スルー“の使い手である。
友人は普通の話を続けた。次の授業がなんであるかとか、テストが嫌だとかそんな当たりさわりのない内容であったと思う。

やはり”現実“でしか生きていない人間にはわからない話なのである。
世の真理に触れているのは私の方であり、“光と闇”のカッコよさが“理解る”私のセンスは至高であり、孤高であった。

その他の発言も見てもらおう。


「メリケンサック欲しいな〜
 いや、指輪として(笑)
 え?変かな〜普通だと思う(笑)」

「え?グロ嫌いなの?
 全然平気だけど。むしろ楽しい♪」

「普段は根暗かもしれないけどキレるとヤバイよ。
 ま、めったにそんな所出さないけどね!」


血を求めている人間なので当然の発言である。
“光と闇”の戦いは私の内なる部分のことなのであまり口にはしていなかった。
しかし友人に自由帳をよく見せていたので天使と悪魔をよく描いていることは知られていた。
この友人というのはさっきの無の使い手と同じである。
というかその人しか友人がいなかった。

私の自由帳を見た友人が唯一“光と闇”のことに触れた時があった。
それがこれだ。


「血が出てる絵よく書いてるけどなんか辛いことがあるの?聞くよ」


いい人。

この友人は母子家庭であまり裕福でない環境で育ったがしっかり者の努力家でバイトをいくつもかけもちし自分の金で大学へ行き卒業後は公務員となり安定した生活を手に入れたのである。

一方で私の人生はお察しである。
私は自分の中の闇に打ち勝つことが出来なかった。
このnoteは、「私の黒歴史wwマジ恥っずwww」というものではない。
私は未だ闇を纏って生きている。
友人を天使とするなら私は両翼を失った悪魔なのだ。
飛べない悪魔は戦うことも出来ず、砂の上で死を待つのみである。
頬に感じる砂粒の感覚は死に直結しないにも関わらず私の心を蝕んでゆく。
しかし立ち上がったとしても空の遠さは変わらないだろう。

私は今日もまた、”誰か“が遠い空に連れていってくれることを1人で待っている。



ちなみに、グロ耐性はないです。

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