「許したい精神」(2023年9月28日の日記)

・本当にお久しぶりです。一週間くらい日記を書いていなかったんじゃないかと思う。一年も続けて毎日書いていると不思議なもので、しばらく書かないと非常に体の奥底がむず痒いような気分になってくる。実際この一週間は忙しくて書く余裕があんまりなかったんだけど、ひと段落したらまとめて一気に日記を書いてしまいたいと思っていた。

・前述のむず痒さというのは説明するのが難しいんだけど「言語化していない感覚が、言語化されないまま脳内で蒸発していくのを口惜しく思う」みたいな状態が近い気がする。あ〜なくならないで、まだ言葉にしてないのに….と思っているうちに、どんな感覚だったかを忘れてしまう。僕の日記はどうでもいい内容ばかりだけれど、人に読ませるのではなく自分の思考を整理するためにも結構な大役を買っていたらしいことがわかった。



・昨日はバイト先のイベント後の打ち上げがあり、ご馳走を平らげながら先輩たちといろんな話をした。自己肯定感の低い人がいて、その感覚を理解するために「自分そのままのコピー人間がいたら、そいつにどう接するか」という質問をしたら「私の人生を消費して、そのコピーに幸せになってもらいたい」と言っていて衝撃を受けた。流石に嘘が過ぎるとまで思った。
・僕はコピーがいたら絶対そいつを許せない。自分の(半)上位互換がいることが許せないのだ。そいつが下位互換だったら見下すし、上位互換だったら発狂して首を吊るので、そのどちらかがわからない状況では怯えと憎悪の混じった瞳でコピーを見つめることになると思う。この話をしたら自己愛性の強い数人は共感してくれた。

・なぜそんなに自分に対する自信はどこから湧いてくるのか、という質問をされた際に「両親が両方とも素敵な人で、自分はそのそれぞれの良い部分を受け継いで生まれたから」と答えたら「100点満点の回答」と感動された。実際、僕はそのルーツを自信の源にしているところは大きい。
・この質問に対する答えは人それぞれで興味深かった。「今までの成功体験が自信につながっている」という人もいれば「自分はとてつもなくラッキーな人間なので、これから先もラッキーでなんとかなると思う」という人もいた。身の回りに起きた出来事の全てをラッキーで解釈していくのは結構有用かもしれない。





・『いぬやしき』の漫画を全巻読んだ。元から実写映画は見たことがあってストーリーの大枠は知っていたんだけど、漫画の迫力が凄すぎて開いた口が塞がらなかった。もう、とにかく奥浩哉先生の画力が凄過ぎる。あまりにもリアルなタッチで描かれるので、ストーリーの展開は急激なのに現実世界と同じ速度で世界が再生され、ゆったりとした時間の流れを感じるレベル。
・「腰の低いおじいちゃんが、家族のために戦う」というだけで、かなりツボに入る要素があって、確か映画でもめっちゃ泣いたと思う。漫画ではもっと泣いた。かっこいい….とずっとなっていた。

・友人は以前より「この世のクズは苦しまないと更生しないんだから、拷問したり感覚器官を奪ったりして苦しませ続けて反省してもらわないとダメだ」ということを主張していて、僕はこれに対して懐疑的な立場だったんだけど、その理由が説明できるようになった。ちなみに実際、「いぬやしき」では暴虐無人なヤクザたち全員の目を焼いて「あんたたちは一生、美しいものを見ることも、感じることもできない…。暗闇の中で、今まで虫ケラのように踏み躙ってきた人たちのことを、死ぬまで考えて反省し続けなさい」と言うシーンがある。
・僕の主張はこうだ。「いぬやしき」で登場するヤクザは一般人の女性を拉致して覚醒剤を注射してレイプするような完全なクズだけど、現実世界ではもっと善悪のフィルターは曖昧になっており「完全な悪役」は存在し得ないため、そこまで苦しめる必要のあるクズなんていない。あるいは、何かのきっかけで誰もが悪事をするかもしれないし、その時には精神が壊れてしまっているかもしれないので、苦しめれば反省する、という単純な話でもない。

・友人は「自分が大切な人を殺されたりしたら許せないから、復讐はやむを得ない」と話していたけど、僕はそれは安易すぎると思う。まず「許したい」と思うべきだ。僕は全ての人間を許したいと思っている。しかし、自分が被害者の立場にあり、どうしても許せないと思うのなら、復讐をすればいい、そういう立場を取りたい。

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