"見下す人たち"と実力解像度について

はじめに


お久しぶりです。あるこほーるです。

今回は、嫌な記事を書こうと思います。見て気分を害された方がいたら申し訳ないです。


僕はアルバイトをしています。ディーラーという職種で、最近まであまりポピュラーではありませんでしたが、ポーカーブームの加熱と共に学生のアルバイトのなかでは有力な選択肢となってきていると思います。

簡単に業務内容を説明します。やることは皆さんがイメージするカジノのディーラーとほとんど同じで、トランプやチップを手元で扱ってお客さんの勝ち負けを決めるというものです。もちろん現金を賭けることはありません。


また、このポーカーという競技には大型大会というものがあります。数千人という人がいっぺんに同じ量のチップを持って戦い、最後の一人になるまで戦うというものです。こちらもディーラーはアルバイトから募集しており、僕も以前参加してきました。

今回の記事は、僕がそこで出会った"見下す人たち"について書かれています。


"見下す人たち"


大型大会で勤務している人たちに共通して言えることは、みんな大変誇りをもって仕事をしているということです。
もちろん拙いディーリング技術やルール理解では大型大会で何度も勤務できないですから、そこにみんなプライドを持っているわけです。

したがって、会場でのスタッフの士気はとても高いです。お客様には懇切丁寧に接するように心がけますし、高いパフォーマンスを発揮できるようにそれぞれが工夫をして仕事に取り組んでいます。

この環境は、一朝一夕で出来上がるものではありません。きっと偉い人がうまく設計した結果なのでしょう。スタッフたちの仕事に対する意気込みは、そこらの飲食店の学生アルバイトのそれとは比較にならないほど高いです。


そして、そういったプライドを持っている人たちは、仕事ができない人たちに対してとても厳しいです。接するときの当たりは強くなりますし、指示も雑になったりします。本人がいないところでは名指しで無能と貶められることもよくあります。

この「名指しで無能と貶める陰口」は、先輩が後輩に対して、仕事のできを褒めるときによく行います。「今日のディーリング丁寧でよかったよ!あ、あの子わかる?〇〇さん、ああいうふうになっちゃダメだよ」というように。
後輩は先輩に褒められて嬉しいので、自己肯定感が上がります。そして、○○さんのことを見下します。私は始めたばかりだけど、あの子より仕事ができる!というふうに。

重要なのは、ここで見下されている○○さんも、ここでの先輩を陰で見下していたりすることです。
大型大会では、特定の範囲に限定すると全員が全員を陰で見下し合う構図が存在します。はっきり言って地獄です。

この構造は、大型大会では至る所で見られます。そしてこの連鎖の最終形として"見下す人たち"が出来上がります。この人たちの特徴を挙げておきます。

・自分はとても仕事ができると思っている。
・自分はその分野のプロフェッショナルであり、誇りをもって仕事をしている。
・人にたくさん褒めてもらいたい
・無能な人が大嫌いで、プライベートでの付き合いも仕事ができる人だけを選んで仲良くしている
・無能な人を貶める言葉を頻繁に口にする
・社会的地位や年収は気にならない。なぜなら、自分が持っている技術に対して誇りをもっているからである。

ここからさらにプライドが増幅して歯止めが利かなくなると、

・自責の精神がなく、あらゆるトラブルの責任が他者にあると考える
・自分がミスをしたという事実が受け入れられない

などが追加されることもあります。僕は、こういった人たちのおかげで大型大会の円滑な運営は成功していると思います。彼らは実際にプロフェッショナルであり、かけがえのない人材であるはずです。

それと同時に、大変不健康な状況だなと思います。僕は社会人経験がないので、とても狭い知見でこの文章を書いていますが、社会全体にこういう空気があるのだとしたら、社会全体が不健康だなと思います。

また、この現象はディーラーという職業がいわば"職人的"であって、定量的に優劣を測れないことによって仕方なく発生している面もあると思います。以下で説明します。


実力解像度

それぞれの分野には、実力の解像度と呼べる指標が存在します。平たく言えば、実力がどのくらい「はっきりわかるか」ということです。将棋と麻雀であれば、将棋のほうが実力がはっきりわかるでしょう。これは運要素がかなり大きいゲーム性の麻雀と比べて、将棋に運要素がほとんど介入しないためです。

「分散の小さい」分野ほど、実力の解像度は高いといえます。初心者がまぐれで実力者に勝ってしまう世界では、その実際の能力は靄がかかったように不透明で、たまたま勝ったのか実力で勝ったのかが分からないようになっています。

この実力解像度を高い順に並べるなら、有名なものは以下のような感じになると僕は思います。偏見ですが、あまりどうしようもない見当違いはしていないと思います。

・将棋・チェス(解像度高)
・サッカーや野球などのスポーツ
・受験勉強(テスト)
・ポーカー
・ディベート
・麻雀
・ファッション
・ディーリング
・芸術(解像度低)

勝ち負けがはっきりしない分野であればあるほど、解像度は下がります。芸術は勝ち負けといった概念がほとんどないので、実力解像度はもっとも低いと言えます。

ディーラーの技術というのは、一定の水準を超えてしまえばあとはホスピタリティや好みの領域になってくるため、絶対的な優劣というものを付けるのは難しいです。もちろんトレンドなどはありますが、これはファッションのようなものでしょう。
(ディーリングは速ければ速いほど良いと思う人もいるかと思いますが、実際には速すぎると鬱陶しく感じる人もいるので難しいところです)


この実力解像度は、高い分野であればあるほど、そこに所属している人々は謙虚になる傾向があると思います。例えば、将棋の棋士は「オレは誰よりも強い。どいつもこいつも弱すぎる。」といった発言をしないでしょう。そういう文化と言われればそれまでですが、チェスプレイヤーでもそういった発言をする人は聞かないので、このゲーム性がそうさせていると考えるのが自然です。

この実力がボカされればボカされるほど、人々は傲慢になり、周りを見下しはじめます。実際見下したところで、実力で「わからされる」ことがないので、安心して人を馬鹿に出来るわけです。


さて、僕は大型大会の先ほど取り上げた不健康な状況が改善されることを望んでいます。見ていて気持ちよくありませんし、なにより自分から自分のすごさを誇示するのは普通にダサいです。

そのためには、ディーリングの指針をより詳細にして「ここは人の好み」とされている部分に明確な正解を設けるのがいいかなと思います。これによって個人の技術の向上につながりますし、実力が明確になれば前述のような見下しあう構図ができることは少ないと思います。

ディーラーの人たちに喧嘩を売るような記事になってしまった気がしますが、「見下す人たち」は数多くいるディーラーたちの中でも一部なので、その点にご注意いただければ幸いです。

関わる人全員が幸せになれる大型大会が開催されていくことを楽しみにしています。



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