日本語ロック論争について②  ~~歌謡化するロカビリーと衰退~~

バイトしまくりで更新頻度おちすぎ!!

前回は日本におけるロカビリー受容と流行を取り上げたので今日はその次のお話から!

 小坂一也の「ハート・ブレイク・ホテル」(1956年)のヒットや日劇ウエスタンカーニバルという日本における音楽フェスティバルでのロカビリーの演奏などを経て日本で大流行したものの、次第に大衆化し歌謡化していきます。
 ロカビリーが輸入された当初はアメリカで流行ったものを ほとんどそのままカヴァー またアレンジも日本語を多少混ぜる程度という形で日本では流行っていました。
しかし日本でもオリジナルのロカビリーが出てくるように出てくるようになると歌謡曲的要素が強いものが多く、大衆へ迎合する部分が目立つようになりロカビリーが衰退していくことになります。
またこの時期(1959年)にアメリカ本国でもElvis Presleyの徴兵などもありロカビリーの衰退が始まっていました。
その後、日本では海外のポップスを日本語に翻訳して歌う、翻訳ポップスが流行る形に。

1962年あたりからThe Beatlesがイギリスで大流行し、1963年からは世界進出を果たします。しかしながら日本ではThe Beatlesの輸入が少し遅れたため、この間にThe Venturesというアメリカのインストゥルメンタルバンドが流行っていました。ベンチャーズはサーフ・サウンドの元祖とも言われていて、アメリカよりも日本で人気を博した。日本のミュージシャンは彼らの音楽に詞をつけて歌ったりとベンチャーズ歌謡という分野で活躍しました。

次回予告
 日本でロカビリーが衰退してしまう事態、海外ではThe Beatlesが流行るも日本にはまだ入ってこない。。
次回、「ビートルズ、来日」  
この次も、サービスサービスぅ!

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