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さよなら、このまん間 最後のイベント「まんなか」を目の前にして

断熱など無いこの家で
暑かった夏を2回越えて、
寒い冬も2回目と、思っていたけれど、
その前にこの家を去ることにした。

シェアハウス&民泊このまん間の運営は12月まで。
11/3のイベント「まんなか」が学生生活、最後につくるイベントになる。

今は、まんなか出演者のミーティングを終えたところ。

いつかは絶対に忘れてしまうけど、それでも忘れたくないと思うこの瞬間を残しておきたい。



いつの間にかまるでイベンター

思えば大学2年生、医療をオシャレにしたかった時期(私のこと知ってる人は知ってるやつ)、
漠然とした衝動と抱えきれない自己顕示欲で走りまくっていた。

そんな時、ある方がくれた

「イベントにしてみたら?」

の言葉。

同じ思いを持った人、興味がある人を集めるのはすごく良いと思うよ。

結局そのイベント「イリョウをオシャレに」は新型コロナの影響でオンラインになり、2ヶ月間毎週2時間のイベントで、告知・集客・当日運営・反省会にただただ疲弊して、終わってしまった。

その後、学生で運営してくれる人募集!みたいなのに飛びついてやってみたビジネスコンテストも、上の人達と連絡が取れなくなって終わり・・・


でも、休学中にオンラインサロンや地元のまちづくり会社でお世話になって、いろんなイベントを企画させてもらった。

この頃から、

ご縁をつなぐ

ことが、すごく、すごく好きだと思った。

イベントは正直、全然話せない。

自己紹介して、わ〜!とか言ってるうちに終わる。

でも、
その後どこかで会った時、
今度ご飯行きましょうねが現実になった時、
すごい力を持ってると思う。

私がつくったイベントで出会った人が、その人たち同士で新しいものを生み出した時、本当に、本当に何よりの喜びを感じる。

電撃に打たれたような。
これだぁぁぁぁぁって溺れて息ができなくなるような。



1年半のシェアハウス運営医学生生活の本音

そして、休学明けから始めたシェアハウス。
作るまでの記録はnoteに、日々はInstagramにあるのでぜひ見てみて欲しい。

SNSってそういうものと思うけど、インスタは綺麗で楽しそうなことしか見せてないので、ここでは本音を。


終えると決めた今、1番大きな気持ちは、安堵。
やっと終えられる。

始めたのも自分のくせにと思うけど、
今の気持ちは、本当に、ほっとしている。


理由としては、勉強に集中したいから、が大きい。

こんなことばかりしてるので、まだ休学してるのと聞かれるけど、本当にちゃんと学校(病院)に行っている。
なんなら、自分でも怖いくらいに医学が面白くて、勉強すること調べることは尽きなくて大変だけど、大変な分、充実してる。

だからこそ、集中したい。


人が来ても来なくても、そもそも家が広くて管理が大変で、特に勉強&作業部屋は温度の変化を受けやすい。

ここで本格的に卒試・国試に向けての時期になったら、
きっと私はつらくなる。

卒業までやろう、一人暮らし嫌だと思ってたのは嘘じゃない。

でもそう思っていたのはこの家すら見つける前で、
今の状況では、今のこの選択が最善だと判断した。


この1年半は修行のようだと、感じていた。

常に"自分"が試される空間。

ちょっと腰を上げればできる心遣い
分けてあげられる、明日使うかもしれない食材
誰かが放置していったゴミ
自分が油を使わずとも汚れていくコンロ

毎日毎日"それ"を求められる。
別に無理して優しくしなくていい、変な気遣いしなくていい、
そう思うことも大事だと言い聞かせても、その頭の中で反芻するその言葉に疲れる。

誰一人として無理をしない がテーマだったのに、
一番無理してたのは私だっただろう。

時には嫌われる方を選んだし、お金をくれる人には優しくしたし、
それで自分のことが嫌になった。


私が知らないところで"それ"を私にしてくれた人もたくさんいるとは分かってる。


めちゃくちゃに言った後で、恥ずかしいけれど、それを選んでいた、と言ってしまえばそれまでの話。

私はこういう生活がしたかったんだろう。

修行のような毎日を望んで、暮らしていた。

すべては望み通り、叶った結果。

こう考えてることがまさしく修行笑


今年の1月、実習が始まってからは、科によるが朝から夜までレクチャーなりレポートなりオペ見学なりがあって、土日は主催なり場所貸しなりイベントがあって、ずっと休みが欲しかった。日曜日の夕方、明日土曜日であれと何度思ったことか。
カレンダーが変わった時、月に1回でも週末予定の無い日があれば死守してた。

結局ほとんど無かったけど。


総じて、よくやったと、思う。

模試はボロボロだったりしたけど、なんとか実習には毎日食らいついていってるし、勉強だけじゃなく、完全復活した学祭にサークルのダンスやアカペラで出られたし、慢性的に完全燃焼している。

我ながら最高な学生生活だと思う。

今は6割の安堵、2割の寂しさ、2割の解放感のこのまん間の運営も、いつか達成感や充実感で満たされた思い出になるだろう。

シンプルに不動産契約書を自分で書いたり、確定申告したり、消防署や保健所に通って営業許可取ったりした経験はどこかで活かしたい笑



このまん間/間

改めて、このまん間の名前の由来を話したい。
改めなくてもあまり話したことが無かったか。

そして、11/3のイベント、「まんなか」に来て欲しいという思いを込めて。

このまんま、は言葉通り。
私はどうしても「ありのまま」とか「自分らしく」とかいう言葉が好きじゃない。
現状ありのままでない、自分らしくない、ことが前提にありそうな言いぶりなことが多いからか。
よっぽど「そのままでいいよ」って言われた方が気が楽。
たしかに、じゃいっか、みたいな。

そして、 間 。


ー間んなかー


*真んなか*


〇まんなか〇


「間」。

「間」が無いと存在できない、とか、自己と他者を分けているのは「間」だ、とか、時には物理学的側面から、時には哲学的に話せるこの得体の知れない「間」が好きだ。時間。瞬間。空間。間違い。人間。


「間」を意識するようになったのはときさんの影響が大きい。


今回の音楽ライブ、広島から来てくれるときさん。
私は休学中にときさんのギター・歌・作詞作曲のアカデミーに入っていた。


人生で一番、繊細で素直で大胆だったその1年間、1ヶ月に1回、自分のチューニングをするようにレッスンを受けていた。

レッスンと言っても、普通の音楽教室とは全く違って、技術的なこと、音程どうこう、とかと言うより、
音楽という手段を用いて、自分を磨く、研磨する、そんな時間だった。


ときさんが話してくれた「まんなか」。

弦をはじいて音が鳴る瞬間じゃなくて、音が鳴っている間が音なんだ
それを見届けるように、波が消えてなくなるその時まで、見送ってあげる

気分の波とか、鬱とか躁とか、「上がる」「下がる」っていう印象を持ちがちで、どうしても「下がる」って良くないことのように思っちゃうけど、そんなの左右にいつでも揺れていて、まんなかを探し続けること、
自分のまんなかを、探し続けること
それが一番自分も周りも愛せることに繋がる


一言一句覚えているわけでは無いので、ニュアンスだけど。

今でも毎日生活するなかで大切にしていることだし、休学中の日々から生まれたこのまん間は、ときさんから学んだエッセンスがたくさん入ってると思う。

そんなときさんと、このまん間で出会ったまきしさん、バナナさんと、
このまん間で、音楽をする。



まんなか に来て欲しい

今日もしっかり内科の実習で論文抄読とカルテ記載、カンファレンスにレポート作成で疲労しきった頭で書き殴っているので、収拾が付かなくなりそうだが、

ここ数日、すべてが当分最後だと実感するにつれて、
なんともいえない不思議な気持ちでいることは間違いない。

別にそうしたくなかったらこのまん間も続けるられるし、イベントだってできる。


でも、きっと、いまだ。


幕を下ろすのは。


この生活に、この日々に、終わりを告げるのは

今しかない。


あとは、足りないのは、


あなたに、来て欲しい。


ここまで読んだあなたに、最後のこのまん間を、今の私を、
見に、聴きに、感じに、来て欲しい。

忙殺される毎日の中で、休学中ほど研ぎ澄まされていないのは自分が1番よく分かっている。

けど、今の自分が今まで生きてきた中で1番好きだ。

必死で、楽観的で、優しくて、残酷な、
今の私。

一人一人に個人でメッセージを送るのが正攻法と分かっていながら、申し訳ないことに日々に追われてそんな時間が無かった。
完全に自己管理ミスなんだけども、最後に甘えさせて欲しい。

11月3日、このまん間で、会いたい。


ここまで読んで、来たくなったあなたの為に、チケットリンクを貼っておく笑


明日も早いのでそろそろ寝ます。

おやすみなさい。

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