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郵便受けの怪

怖い、兎に角郵便受けが怖い。

チラシ、請求書、公共料金の支払書、わけのわからない調査用紙、宗教の勧誘、不在票etc etc...溜め込まなければいい話なのだが昔からそれが出来ないので重要な書類なんかを見逃して痛い目に遭う。
何度も何度もこの過ちを繰り返してしまうのはあの郵便受けを開いた瞬間に洪水のように頭の中に雪崩れ込む情報量のせいだろう、封筒に記載された大量の文字、チラシの派手なフォントに大袈裟な写真やらが一気に視界から襲いかかってくるのが恐ろしいし、全部が億劫で堪らなくなる。
それだけで完全にキャパオーバーになって、開けるだけでも一苦労なのにその後に待ち受ける情報の取捨選択の作業で完全に心も身体も全てのHPが削られてしまう、まさに私のライフはもう0よ状態だ。
しかも地域柄なのか未だにデリヘルのピンクチラシや新興宗教系の勧誘の冊子なんかが入るような家なのでそんな訳の分からないチラシに紛れてギリギリ人権を保つ為の大切な書類が届いているのが本当に困る。
何故皆んなあんな恐ろしいものを何の気負いもなく毎朝毎夜帰宅時に開けることができるかわからない、まさにブラックボックス。

思えば昔からそうだった、小学生の時はランドセル、中学生の時は机の用具箱、高校生の時はロッカー、情報が詰まった箱に恐怖していた。
見ても処理できないもの、忘れ去ってしまった誰かからの言葉なんかを全部ぎゅうぎゅうに押し込めた感情と情報の塊みたいなものだからこんなに恐ろしいのだろうか。
生きて行くためになんとかかんとか意を決して郵便受けを開く時は酷く眩暈がするし叩く様に心臓が速くなる、こんな事もまともに出来なくても社会は回っていくし、自分は息をしているがあまりに不思議で仕方ない。
昔誰かに『大人なんだからなんとかしなよ』と言われたような気がするがそれが出来ていたらこんな苦労はしていないし、なんとかしたいのは自分自身だってそうなのだ、甘えだよとか情けないと言われてももう反論する元気もないので今日もへらへらと生きている。

ランドセルの底でくしゃくしゃになった授業参観のプリントと同じようにくしゃくしゃになった公共料金の支払い用紙を丁寧に拡げてあんまりにも情けなくて電気の止まった部屋で1人で笑った。

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