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フェニキア人の港町・タッロス
<イタリア旅行記(2009年夏・サルデーニャ島&ローマ)no.43>
オリスターノ(Oristano)滞在3日目。
この日は、バスでさらに、西へ。
フェニキア人がつくった港町・タッロス(Tharros)へ向かいます。
オリスターノ滞在を決めたのは、
このタッロスを、どうしても、ひと目、見ておきたかったから。
「タッロスはここだよ」っと言われて、バスを降りた場所は、
ガランとした広場の駐車場で、
まるでイメージと違って……うん?
遺跡らしいものは見えないし、うん??
ここはどこ…?、状態でした。
最寄りのバス停留所は、
「サン・ジョバンニ・シニス(San Giovanni di Sinis)」。
とにかく、目の前にある一本道をひたすら、1km 以上歩きました。
10分程、経った頃でしょうか。
やっと海が見えてきて、そして、遺跡らしきものも…。
それにしても、本当に、海が美しいです。
神戸に住んでいる私は、海も山も、大好き。
この美しさを見ながら、風に吹かれたら…。
はぁ~、至福の時です。
海を眺めながら、さらに歩いて行くと、ありました!
念願の、タッロス遺跡(Area Archeologica di THARROS)です。
タッロス遺跡(Area Archeologica di THARROS)入口
カルタゴ全盛期だった、紀元前8世紀。
フェニキア人が海上拠点として作った港町が、このタッロス(Tharros)。
11世紀後半、主教行政の移管に伴い、
人々がここから離れて、オリスターノに移住するまで、
地中海交易におけるサルデーニャ島の主要港として、栄えました。
現在、遺跡として残っているのは、
古代ローマ時代に整備されたものだと言われています。
海を目の前に、広がる ‟ 町 ” は、その当時を彷彿させるものでした。
サン・ジョバンニの塔(Torre di San GIovannni)
町を見降ろすように造られています。
まずは、住宅地・跡を、歩きます。
住宅地・跡
目の前が、ぱっと開けて、海を一望することができました。
約2,800年の時を超えて…、です。
ドーリア式の柱(Colonna Dorica)
この柱が残っているということは、神殿もあったという事。
2000年以上も前に、この町で生きていた人たちがいたんだ、
生活が、ここにあったんだっと思うと、またまた、感慨深く…。
念願のタッロス訪問だったので、目にも、心にも、焼きついた景色でした。
さあ、塔まで、もう少し登ります!
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