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〝諦めないで、最後まで〟【#24 田中成也 選手】


こんにちは!新潟アルビレックスBBnote編集部です。ここでは、普段なかなか見えない選手の一面を、インタビューを通して皆様にお届けしたいと思います!

【2023‐24シーズン 選手インタビュー】
4人目はこの方。〝副キャプテンは誰よりもアツい男〟というキャッチフレーズでおなじみの田中成也選手。いつもチームメイトやスタッフを気にかけ、ポジティブな言葉を掛けながら鼓舞している姿が印象的です。彼がどのようにしてプロの道に進んだのか,どのような想いでコートに立つのか、これまでの田中選手の人生について、お話を伺いました。
ぜひ、最後までご覧ください。


ー田中選手がバスケットボールを始めたきっかけを教えて下さい。
僕がバスケを始めたのは小学6年生の時なんですけど、それまではサッカーをやっていました。当時、牡丹山小学校(新潟市立牡丹山小学校)はサッカーが強く、僕は背が高かったのでキーパーを任されていました。キーパーってサッカーのポジションの中でも特に難しいポジションだと思っていて、得点を決められたら責任を感じるし、点が決まることが少ないスポーツなのに、点が入るか入らないかのポジションにいるじゃないですか。そのことにあまり面白さを感じませんでした。
ちょうどその頃、7つ上の兄がスラムダンクの影響で高校からバスケを始め、それを見て僕も後を追うようにバスケを始めたのがきっかけです。

ーバスケを始めてみて、いかがでしたか?
僕の子供の頃の性格も含めて、今もそうなんですがあまり表に出ていくようなタイプじゃなくて、それまでは周りの人から頼られるという経験がありませんでした。でもバスケを始めてみて〝背が高い〟というだけでチームメイトから頼られたことがすごく嬉しかったです。そこからどんどんバスケにのめりこんでいきました。

ーでは、中学校でも迷わずバスケ部に入られたんですね!
はい、僕はどのカテゴリーでもそうなんですが、『自分が行きたい』って思うチームや学校を自分で選んで決めています。中学校も、『バスケをやるなら強い学校でやりたい!』と思い、親戚から、本丸中学校(新発田市立本丸中学校)が強いという話を聞いて、『本丸中へ行きたい!』と思いました。お父さんの会社が新発田市にあったこともあって、本丸中学校へ通うために新発田市へ引越しました。

ー名門、本丸中学校へ入学されていかがでしたか?
すごくバスケの強い学校だったので、最初は練習についていくだけで精一杯でした。背が高いとはいえ、まだバスケを始めたばかりだったので、1年生の頃は左手のレイアップもできませんでした。左手のレイアップをやらなきゃいけないメニューがあるんですが、他のみんなはできるのに僕だけできなくて…。ドリブルもできないし、ゴール下でシュートするくらいしかできなくて。それが本当に悔しかったです。部活の後、先輩たちに手伝ってもらって何度もレイアップの練習をしました。当時は足りない部分を補うことに必死でしたね。

中学3年生の頃、僕たちの代は本丸中の中では〝強くない世代〟と言われていたんですが、1年生に勇樹(富樫 勇樹 選手/千葉ジェッツ所属)が入って来てガラッと変わりました。彼は他の子と比べてまるで違いましたね。ドリブルから、身体の使い方から、シュートの打ち方から、すべてが違いました。彼が入って、その年は全中3位まで行きました!!

ー高校時代について
高校はもともと福岡第一高校を目指していたんですが、中学のバスケ部の監督だった富樫先生(富樫英樹氏)から『3年生になるとき、新潟国体が開催されるから、新潟に残ったらどうだ』と言われ、新潟に残ることを決めました。
高校をどこにするか悩んでいた頃、佐藤正先生(現新潟アルビレックスBB U18ヘッドコーチ)から『これからこの学校(高志高校/現新潟市立高志中等教育学校)を強くしていくから、一緒にバスケをやろう』と声を掛けていただき、高志高校へ進むことに決めました。でも、3年間通して1度も全国大会には進めませんでした。僕が2年生の頃、1個上の先輩の代がすごく強い世代って言われていたんですが、そんな強い先輩達でも勝てなくて。これだけ強いメンバーがそろっても勝てないのか…と思い、すごくショックでした。

ー大学はどのように選択されたんですか?
僕は全国大会に出た、とか輝かしい成績があったわけじゃないので、自分で自分を大学へ売り込みに行きました。僕は中学時代からNBAがすごく好きで、当時BSで週に2回あるかないかの放送を毎週録画して観るくらい好きだったんですが、そのNBAの解説をしている塚本さん(塚本 清彦氏)がヘッドコーチを務める明治大学に行きたいと思っていました。佐藤正先生の教え子の繋がりを通じて大東文化大学の岩下さん(岩下 大志氏)を紹介してもらいました。そこから岩下さんに塚本さんと繋げてもらって明治大学にトライアウトに行き、スポーツ推薦の枠をいただくことができました。

ー入学されてみて、いかがでしたか?
実際に入学してみてからは超大変でした…。レベルがめちゃくちゃ高いんですよ。毎日練習に付いていくのに必死でしたね。塚本さんは選手を育てることが好きな方で、特に1年生にはいろんなポジションを経験させるんです。どんなに身長があろうが、低かろうが、あらゆるポジションを全員に経験させるんですよ。僕はやったことのないポイントガードを任されて、もう何もできなかった思い出しかないです…。ボールも運べないし、ドリブルもできないし、パスもできないし…その頃は本当に辞めたかったです。結果的に、2年生に上がるときにBチームに落ちて、そこから4年生の夏まではずっと花開くこともなく、Bチームでプレーしていました。

大学時代の田中選手

ーそんな状況からプロになるまでに、何があったんですか!?
大学4年生の頃、外山さん(外山 英明氏)が明治大学のアシスタントコーチで来てくれたんですが、この方が僕のことをめちゃくちゃ気に入ってくれて、そこからは自分でも『こんなことある?』って思うくらい、とんとん拍子にいきました。
僕の一個下に誓哉(安藤 誓哉 選手/島根スサノオマジック所属)がいたんですが、塚本さんが誓哉に『海外に行く機会があるけど行って来たら?』と声を掛けたんです。その枠は2つあって、もう一人いける!という状況でした。その当時、僕はプロを目指していなかったんですが、卒業後は海外へ行っていろいろな経験をしたいと思っていたので、『お前も行って来たら?』と声を掛けてもらい、誓哉と一緒に2週間、ラスベガスにあるインパクトバスケットボールという、NBAの選手たちがワークアウトする施設へ行きました。その経験から、僕の中の価値観がガラっと変わりました。アメリカのプロの世界ではバスケで飯を食ってる人がたくさんいるわけじゃないですか。その環境を間近で見て、『こういうの、いいなあ…!!』って思ったんです。アメリカから日本に帰ってきた頃には完全に『プロになりたい!』って思っていました。

プロになるって決めてからはとんとん拍子にうまくいきました。練習試合に使われれば結果を出して、使われれば結果を出して…という感じで、自分でもなんであんなにうまくいったのかわからないんですけど、そこからはAチームのスタートで使ってもらえるようになりました。関東1部のリーグ戦で3位になって、インカレも準優勝しました。

大学時代の田中選手/大学4年 最後のリーグ戦

大学時代はめちゃくちゃ辛いことが何度もあって、辞めようとしたこともたくさんあったんですけど、僕の同期の仲間たちが本当に良いやつばっかりで、『辞めないで頑張ろうぜ』って言ってくれて。仲間に恵まれたおかげでここまで来ました。いい仲間や恩師に出逢えて、僕は本当に運が良いと思います。じゃなかったら、どこかで絶対辞めてると思います。これまでたくさん与えてもらってきた人生だったので、お世話になった方や仲間には絶対に恩返しがしたいと思っています。

ー今シーズン、新潟に来てくれた理由を教えて下さい。
求めてもらえたからです。何とか今のチームの状況を変えてあげたいという想いは少なからずあって、僕が関わることで何かが一つでもいい方向に行けばいい、と思って新潟に来ました。新潟に来た時、チームメイトに『大変なシーズンになると思うけど、みんなで頑張ろう』と伝えました。僕はB2で長く戦ってきたので感じるんですが、年々B2のレベルも上がっているし、間違いなくB2は甘くないです。カテゴリー関係なく〝勝つ〟というのは本当に大変なことだと僕は理解しているつもりなので、そういう意味でみんなに伝えました。

いま、チームに足りないものはたくさんあります。でも、できないものや足りないものについて話していても何も始まらないので、今の環境や状況を認め、建設的に考え、チームが良くなる方向に持っていけるように意識しています。なかなか上手くいかないんですけどね。。

ー最後に、チームメイトへメッセージをお願いします。
いま、間違いなく僕たちはすごくきついポジションにいます。最下位で、たくさんの批判も受けます。でも、こういう悪い経験も、諦めなければ必ずこの先の人生に活きてきます。僕は何度もバスケを辞めそうになったけど、辞めなかったから今こうしてプロとしてバスケをしています。どんなに辛い状況からでも、逃げずに戦い続けていれば、いつか絶対にこのきつい状況を笑って話せる日が来ると思っています。なので、諦めないで最後まで戦い続けようと、みんなに伝えたいです。

ー田中選手、貴重なお話をありがとうございました。


【note編集部コメント】
数々の壁を乗り越え、自分の道を自ら切り拓いてきた彼が話す『諦めないで、最後まで戦い続けよう』という言葉には、重みと力強さを感じました。
〝とんとん拍子にうまくいった〟というその理由も、田中選手の人柄にあるように感じます。〝いつか笑って話せる日が来る…〟田中選手の言葉ひとつひとつに、とても勇気をもらえたインタビューでした。

みなさん!田中成也は、正真正銘の〝誰よりもアツい男〟です!!!




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