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〝簡単じゃないからこそ、このチームで〟【#14 冨岡大地 選手】


こんにちは!新潟アルビレックスBBnote編集部です。
ここでは、普段なかなか見えない選手の一面を、インタビューを通して皆様にお届けしたいと思います!

【2023-24シーズン 選手インタビュー】
お二人目はこの方。選手兼通訳として、チームのコミュニケーションの中心を担う冨岡大地選手。いつも周囲に気を配り、誰とでも分け隔てなく接する姿が印象的です。努力の天才〝冨岡大地〟の人生についてお話を伺いました。ぜひ、最後までご覧ください!


―冨岡選手がバスケットボールを始めたきっかけを教えてください。
お兄ちゃんがバスケをやっていたからです。6つ上と4つ上にお兄ちゃんがいて、僕は3男なんです。上のお兄ちゃん2人が空手と公文を始めて、途中から真ん中のお兄ちゃんがバスケを始めたんですね。当時、お兄ちゃんのやることはなんでも真似したい!と思っていたので、6歳くらいの頃に『お兄ちゃんがやってるやつ(習い事)全部やる!』と言って、バスケと空手と公文を同時に始めました。お兄ちゃんを完全にライバル視していましたね。(笑)

空手を始めた頃の冨岡大地選手

―空手と公文は何歳くらいまで頑張られていたんですか?
バスケは楽しかったので、ずっとやりたい!と思っていたんですが、空手と公文は1週間くらいでやめたくなりました。先生怖いし、勉強めんどくさいし、遊びたいし・・・しかも公文で選んだ科目が算数だったので、ひたすら計算問題を解き続けるっていう感じで。英語やっておけばよかったなーって思いますね。(笑)でも、6年生で卒業する時には、高校3年生の内容の勉強まで進んでいて、トロフィーをもらったこともあります!

―1週間でやめたくなったのに、6年生まで頑張られたんですね!!
お父さんに『バスケ以外やりたくないから(空手と公文を)やめたい』って言ったことがあるんですけど『お前がやりたいって言って始めたんだから、6年生までやりなさい』って言われました。当時は『6,7歳の子供の言葉に責任取らせる⁉』って子供ながらに感じたのをよく覚えています。(笑)お父さんは全然怖くないし、すごく優しいんですけど〝やりたいことをやるにはやりたくないこともやらなきゃいけない〟ということはよく言われていました。

幼少期の冨岡大地選手


―プロバスケットボール選手への道は、何歳くらいから意識し始めたんですか?
いつからという明確な時期ははっきりしていませんが、子供の頃に将来の夢を聞かれたら『バスケットボール選手』とか『NBA選手』って答えていました。僕が子供の頃はまだBリーグが無かったので、BSとかで流れているNBAの試合を観ていました。その影響で『バスケといえばアメリカだよなあ…』『英語勉強しなくちゃなあ…』と思っていて、それが英語を学ぶきっかけに繋がっていきました。

―高校はどのように選択されたんでしょうか?
実はギリギリまで公立の高校へ進学するつもりでした。学費も安いし、公立の高校から選ぼうという前提があったので、ほぼ公立の高校で決めていました。でも最後の最後で『やっぱり私立(広陵高等学校)に行きたい!』と思い、両親に相談しました。その高校には有名な先生がいて、僕の先輩にも何人かその高校に行った方がいたんです!でも両親からは『わかった。私立でもいいけど、学費はかからないようにしてくれよ!』と言われ、まず最初にスポーツ推薦を考えたんですが、スポーツ推薦はバスケ部の枠の関係で学費ゼロは難しいと言われてしまったんです。でも〝勉強の方であれば特待生の枠で学費ゼロが可能〟ということがわかり、中学の成績は悪くなかったので、そこから成績を維持して特待生の枠に挑戦しました。そして、行きたかった高校(広陵高等学校)へ進学しました!!

―クラブのアンケートで『影響を受けた指導者』として高校時代の恩師の名前をあげられていますね!どのような先生だったんでしょうか?
瀧口先生(瀧口貴夫先生)は〝みんなに任せる〟という自由な指導スタイルで、作戦とかも考えていいよっていうくらい自主性を大切に指導して下さっていました。怒ったりするタイプではなく、とても静かな先生でした。
ただ、人として間違ったことをした時はすごく怒ります!僕はほとんどバスケのことで怒られたことはなかったんですが、一度だけ怒られたことがあります。練習試合の時に、僕が審判に文句を言ってしまったことがあったんですが、そのとき、いつも静かな先生がこっちへ来て『そんなん言うならお前が審判しとけ!!!』って言われました。その出来事はとても印象に残っています。先生からは、思いやりを持って人と接することだったり、感謝の気持ちを忘れないことだったり、大切なことをたくさん教えていただきました。僕を含め、他の選手・生徒からも慕われていて大人気の先生です。

―英語を本格的に学び始めたのは何歳くらいからですか?
知人からAAU(アマチュアアスレッチクユニオン/アメリカでメジャーな高校生のリーグ戦)への参加に声を掛けていただき、高校2年生~高校3年生になる春休みに、アメリカへ3~4週間の留学をする機会がありました。もともと英語の勉強はしていたんですが、その留学に向けて本格的にギアを上げて勉強を始めました。まず始めに取り組んだのは、好きな洋楽の歌詞を書いて日本語訳する方法です。歌の歌詞は独特な表現や言い回しがあって日常会話の勉強には不向きだったかな?とも思うので、とっかかりとしては自分の好きなことで勉強できたのですごくよかったのですが、今思えば効率はあまり良くなかったのかもしれません。でも楽しく英語の勉強ができました!あとは、海外のドラマや映画を音声英語/字幕日本語でまず1度観て、内容を理解した後に音声英語/字幕英語で観る、というのを繰り返して勉強しました。

留学中の冨岡大地選手


―その後大学へ進学されますが、大学を選ぶ決め手となったことはありますか?
高校を卒業するときに、広島にbjリーグのプロのチームができるという話を聞いていたので、プロになるならここだ!と思い、広島県内の大学から選びました。僕が選んだ広島経済大学は、スラムダンクのモデルにもなった体育館がある大学で、体育館はもちろん、トレーニングルームもきれいで施設が充実していました。

ー大学も推薦で進学されたんですか?
大学は指定校推薦の枠で行こうと思っていたんですが、担任の先生に『お前の成績だったら指定校推薦を取らなくても受かるから、他の生徒に指定校推薦の枠をあげて欲しい』と言われ、あげました。(笑)
大学3年生の時、広島にプロのチームができたので、大学に通いながらそのチームで活動し、その後僕が大学4年生の時にBリーグが誕生しました。残念ながら初年度は広島のチームがBリーグに参入できなかったんですが、その間卒論を書いたり、子供たちにバスケの指導をして過ごしました。今もスクールへバスケの指導に行く機会があるので、当時の経験はとても活かされています。

―今シーズンの目標と、チームへの想いをお聞かせください。
目標はもちろん、B1昇格です。
今のチームは、プレータイムを求めて来た選手や経験を積みに来た選手、日本でのプレーが初めての選手もいて、ここから個人としてもチームとしても作り上げていく!という伸び代のあるチームです。
今シーズンは降格した年で、厳しい目で見られることもあるし簡単じゃないということも、もちろんわかっています。ですが簡単じゃないからこそ、このチームで成し遂げたいと思っています!僕たちはまだまだ成長します!!

―最後に、チームメイトへ一言ずつメッセージをお願いします!
#1 ジョシュ・ニューカーク選手
日本は初めてで大変だと思うけど、怪我なく健康に過ごそう!頼りにしてます!

#3 大矢孝太朗選手
唯一の同い年!キャップ!大矢さんの人柄全開でチームをまとめてください。大矢さんまじでいい人!

#4 高橋克実選手
スコアラー!克実らしく勢いよく、この調子でバシバシスコアして!

#9 マーティンス・イバーヌ選手
ティノはもっと自分を出して!常に明るくみんなを鼓舞するティノでいてねー!

#10 ファイ パプ月瑠選手
パプさんの勤勉さはリスペクトしています!いつも話してくれてありがとう!

#24 田中成也選手
せいやくん!早くみんなと打ち解けてください!笑

#32 池田雄一選手
鉄人池さん!あと10年がんばりましょう!

#33 笹井幹太選手
笹は、誰よりも練習してる。自分を信じて!遠慮せず!

#34 遠藤善選手
大エース、善さん!今年も新潟アルビレックスBBをよろしくお願いします!

#55 カイル・ハント選手
カイルみたいなお父さんになりたい。。。コートではとっても熱い。大黒柱。みんなのお父さん。個人的にも精神的支柱。笑
いつも話し聞いてくれてありがとう!

#77 小池文哉選手
ぶんちゃん。これからも仲良くしてね♡

#99 大本歩夢選手
22歳!! 今シーズン一回はダンクいこう!

―冨岡選手、貴重なお話をありがとうございました。


【note編集部コメント】
〝やりたいことをやるにはやりたくないこともやらなきゃいけない〟という教えのもと、惜しみない努力で自分の望む道を切り拓いて来た冨岡選手の様子が伺えました。ここから彼がどのような道を切り拓いて行くのか、そしてチームは今シーズンどんな成長を遂げるのか、とても楽しみになるお話でした。英語の勉強法も、ぜひ真似してみたいですね!



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