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CRP写真集、70冊以上、最多出版。修田潤悟。JUNGO SHUDEN。

修田潤悟は、博報堂の売れっ子アートディレクターだった。彼は写真好きのアートディレクターで僕がが会った現役時代から写真を撮っていた。ポラロイドのシリーズが有名で、虎ノ門にあった、ポラロイドギャラリーで何回か個展をしている。定年してからは、どこぞの大学で教えていた。今はリタイヤしている。修田とはフリーになってしばらくして、7:30 (しちじはん)というグループで知り合った。

それは日本デザインセンターにいた、今や現代アートの作家である、デザイン界の鬼才サイトウマコトが、たぶん24歳ぐらいかな、同世代のデビューしたばかりの気になる若手デザイナーたちにはどんなやつか、直接見極めたくて集めたようだ。電通に入ったばかりで、NIKKA黒の50、河村要助を担当した、デザイナー柳沢光二、同じデザインセンターのデザイナーでその後ニューヨークに行き、今は世界的絵本デザイナーとなった駒形克己、同じくデザインセンターの写真家、杉山守(没、彼についての修田のCRPがある)そしてたしか東急エイジェンシーにいた高木孝、長友さんのK2にいて、毎日広告賞を取った土屋直久、土屋君に誘われた、唯一のフリーランス、横木安良夫、最後にライトパブリシティのデザイナー栗林孝之が、毎月7時半にデザインセンターの会議室に集まった。2回,展覧会をやり、4,5冊、冊子を発行した。
実は、その集まりは半分苦痛だった。何しろほか彼らは、全員サラリーマンだったからだ。仕事上のぐちから、悪口、わがままばかりで、全然楽しくなかった。一度、池の上にあった、家に来たことがある。ぼろいが敷地70坪の一軒家、庭つき。フリーになるとこんな暮らしができるのか、と驚かれた。
その数年で、7:30は分解した。あまりためにはならなかったが、デザイナー、アートディレクターの頭の構造が少しわかった。僕の先生は、僕がアシスタントのころ、ほとんど広告を撮らなかった。どこかで書いたが、TIMEXという時計の広告を撮った時、喜んだ、久しぶりの広告、モデルは外人。広告と言えば、僕が入ったばかりの頃、カネボーのキャンペーンの広告でハワイに行ったきり、その後はぱたりと広告はなくなった。それ以外、写真集や雑誌で先生は忙しかったのだ。そのTIMEXの広告のポスターができて、驚いた。でかでかと、撮影、篠山紀信と書いてあるではないか。広告ポスターに撮影者の名前が。撮影者、自体が広告だった。
そんなわけで、コピーライター、アートディレクター、デザイナーが何をするのかわからないで、フリーになった。フリーになって、広告の仕事をたびたびやったが、初期は、コンテとおりに撮ればいいのだと勘違いしていた。7:30に参加して、デザイナーのメンタリティを知り、かなり広告を理解した。
30代になって、皆、各社のアートディレクタの中心となり、僕は7時半の柳沢光二と、修田潤悟と、たくさんの広告の仕事をした。

修田はある時、僕に、車の広告を撮らないか?と聞いた。
僕は、車好きだ。でも、本職は人物で、モデルやタレント、俳優を撮る仕事が90%だ。僕の大学時の同級で、先生である高木松寿は、デザインセンターの写真部長までなるが、僕が車を撮り始めた当時、日本で一番フジの8x10フィルムを消費するカメラマンとして有名だった。彼は、学生時代は作家志望だったが、センターに入り、プロフェッショナルな自動車撮影のプロになっていた。そんな高木に、だいぶマツダやユーノスの広告をやるようになって、ほめられたことが。車専門のカメラマンには撮れないと。

修田は、イメージ的な広告で、モノクロだからだいじょうぶだという。屋外でほとんどライティングもしないと。とうわけでその仕事を受けた。
マツダファミリア―のスペシャリティカー、エチュードだ。広告はかっこよかったけど、車は売れなかった。僕も、広島のスタジオで初めて見た時、うーんこれがファミリアのスペシャリティカーかと、がっかりした。でも頑張ってカッコよく撮らなくては。

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ロケ地はLA。
ロケハン10日、撮影一週間といったところだ。
ロケハンは撮影場所を探しながら、僕は、モノクロでスナップした。そういうエディトリアル的な写真も冊子でつかうから、メインの数カット以外自由に撮った。
まるで普通の旅行のようなものだった。石油会社の敷地も、許可を得るためと称して車でぐんぐん入った。サンフランシスコでは,泊まるホテルがなく、高級ホテルのスーパースイートで、皆で雑魚寝した。
田舎に行くとモーテルもない。今のようにネットがない時代だ。やっとまずい夕食にありついたが、宿が決まっていない。コーディネーターがいるのにこの始末だ。そんな時代だ。アメリカは広い。予定した地域に、何かイベントがあれば、周辺、車1時間県内のホテルはどこも満室になる。
もしかしたら車中泊なんてことも。夜11時ごろ、ボロボロモーテルがあった。薄暗い。でもやっているようだ。12歳のぐらいの子供と母親。泊まれる。しかし汚い。ロケハンでこちらは、6人。部屋はあるが、変だ。子供が消臭スプレーのようなものを持ってきて、ベッドに噴霧する。床が汚く、裸足になれない。シャワーを浴びて、靴を履いてベッドまで。
なんてこともあった。あの時代で格安、一部屋10ドルを切っていたかもしれない。車の撮影の面白いところは、スタッフが現地コーディネータ以外、全員男だということだ。撮影業界に女性はほとんどいない。
普段、僕は女性に囲まれて、撮影していたのは新鮮だった。
広告は業界のスタッフは、全員男だったような気がする。
だから、雑誌業界はナンパだったが、広告業界は、硬派だった。

広島のスタジオで缶詰にもなった。ファミリアのメイン広告だった。プロのライトマンがいて、僕がアングルの位置決めをすると、ライトマンが数時間かけてライティングする。その間、待つだけだ。出来上がった、プロを撮る。ポラを見ながらライトマンに修正を指示する。新型ファミリアの、「いつも楽しいクルマです」のコピーは、天皇崩御によって、しばらく自粛になった。各駅数時間だけ、B倍ポスターを連張りは、正月早々、派手に展開するはずが、数日で撤去となった。「楽しい」が、崩御にふさわしくないとのことだった。
コスモロータリーの撮影車が、ムービー撮影のためフランスにあることが分かった。フランス、ニースのスタジオ(当然、屋外じゃない)で撮ったことになった。日本から僕とアシスタント、そしてマツダの照明部もついてくることになった。あとで調べたら映画「天井桟敷の人々」を撮った由緒ある映画スタジオだった。

↑その時の、CRPがこれだ。僕も写っている。 前半スタジオで、何ページも同じようなシーンがある。車の反射をコントロールすための準備風景だ。同じような場面が続くね?というと。何か面白くない?淡々としているのが、
そう、それが修田なのだ。何か、面白い。スナップ写真に通ずる精神だ。

修田は、鷹揚な性格で、気があい、たくさんの仕事をした。
新しものが好きで、さまざまなチャレンジをさせてくれた。長時間露光などもそうである。そこから僕の懐中電灯の「TWILIGHT TWIST」のシリーズが生まれている。

彼は定年して、どこかの大学の講師をしている。CRPの立ち上げにはいろいろ協力して持った。そのお礼に、CRPの制作のしかたを教えた。
それからというもの、もう50冊以上を発行している。ネタは無限だ。
Kindel Unlimitedの方は無料だ。有料でも¥250で抑えある。
デジタル写真集は、自分を、自分で、自由に残すメディアだ。
ビジネスになっているか?
最近、アマゾンのKDPは、売り上げやなどの明細が劇的に改善された。それまで全然気にしていなかったが、長期的に売れるものはそれなりの利益になっていた。どういうものが売れるかも、戦略がたてやすくなった。
デジタル写真集は、新しいメディアだ。まだ、生まれたばかり。何に適しているのかなど、試す価値はあると思っている。
そんな実験中の修田潤悟氏の、写真集をどうぞごらんください。



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