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松原みき 真夜中のドア Stay with me

poraloid TYPE 107 
喪失した記憶

真夜中のドア 
昨年末、松原みきの、真夜中のドアStay with me、が世界的にリバイバルヒットをしていると聞いた。その時、彼女がもう15年以上も前に亡くなっていることを知った。
かつては芸能人を多く撮っていた時期もあったが、この20年ぐらいは遠ざかっている。
松原みきの名を聞いて、撮ったことあることは覚えていても、
いや何回か撮ったはずなのに、あまり印象がない。
youtubeを見ると、僕が撮ったかもしれない写真がいくつかあった。そのくせ、記憶はさだかではなく、そのぐらい印象が薄い。なぜだろう。でも、ときどきこうやってぽっかりと、記憶に穴があいてることがある。


2年ぐらい前に、小学校の時のガールフレンドと60年ぶりの同窓会で会った時、僕は舞い上がり、昔話をした。自転車にふたりのりしてデートしたこと。そして卒業式の数日後、里見公園で彼女が僕の友人の自転車の後ろに乗っていて、その時、僕は失恋した。子供時代の淡い話だ。僕は70歳になった彼女のことを撮りたいと思い、後日、会う約束をした。その時年頃だった時の写真も持ってきてと伝えた。
撮影日、いく葉の写真のなかに二つに折った、8x10のモノクロプリントを持ってきた。アルバムに入りきらなく折ったという。
その写真を見ても僕は気づかなかった。
すると彼女はこれ、20歳の同窓会の後、違う日に僕が撮ったという。……。
全く覚えていない。だいいち、20歳の同窓会も覚えていない。
写真を見ると、確かに僕の撮り方だった。


松原みきの記憶がないのに。ジャケットの写真をみると、撮り方は、どうみても僕のようだ。いや絶対に僕が撮っている。
これらの写真は1980年ごろ撮ったものだ。
メイン傘1灯。下に銀レフで起こしている。目の中のライティングが明白だ。このころ、このライティングにはまっていた。
倉庫にしまってあったデータノートを探すと、1080年に3回撮っている。
このころ多くの芸能人を撮っていた。ほとんど忘れているが、
数度にわたって撮っているのに、記憶がないのはどうしたことだろう。
自分の記憶に、全く自信がなくなった。
でも、こうやって写真はのこるから、おもしろい。
松原みきの歌を聴く。
この歌はヒットしたので、覚えている。
なんていっても、
「真夜中のドアたたき」、のフレーズがジンとくる。
でも、不思議な歌詞だ。
出ていったのに、そばにいて、とドアをたたく。
それは当然内側からたたくのだろう。
どうしてだ。3つ考えられる。
1つ1目は、ドアを出て行った男を、ぐっとこらえてドアの内側からたたくせつない瞬間。
2番目は、大きな家で、応接間にいた男が、女を部屋に監禁して、でてゆく。ちょっと不自然かな。
3番目は「真夜中のドア」というメタファーをたたく。
夜のとばりが、そのまま暗い、巨大な扉という考え。
やはり一番かなと思うけど、歌い方はドンドンたたいているイメージだ。
出て行った男を追わない女のドアのたたき方はどんななのだろうか。


ベスト盤


1980年に 松原みきを撮影した。 

以下の写真はまぎれもなく、僕の撮った写真だ。記憶の底に沈んでいた。1980年のデータノートを見ると、カラーポラロイドが1枚貼ってあった。ポラロイドTYPE108だ。あまりカラーは使っていなかった。なぜなら、独特の色で、デザイナーがこの色イイですねなんていうので、本番のフィルムの色と全く違うから困るからだ。それに現像に2分ぐらいかかるので、撮影中のテストには不向き、基本20秒で見ることができるモノクロ ポラロイドTYPE107を使った。

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下の写真は、1980年のデータノートに貼ってあったカラーポラ、TYPE108
背景がぐれーだけれど、途中で変えたのかもしれない。

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下の写真は、ネット上にあった写真。これも違う日に僕が撮っている。
ライティングは一緒だ。これのポジは、セレクト分なら探すとあるかもしれない。

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下は1980年のデータノートにあるモノクロのポラロイドだ。週刊ポストの仕事だ。ハッセルブラッド500CM プラナー80㎜f2.8
このころレコードジャケット撮影は予算がなく、雑誌とタイアップすることが多かった。何しろ貸しスタジオを使うことになるので、それがばかにならない。
タイアップすれば、宣伝にもなるし、皆得するというわけだ。
データを見ると、エクタクロームプロフェッショナルEPRのブロニーを42本撮っている。
カラーポラより、107を使う理由の最大は、現像時間が短いことだ。
そして何よりも、感度が正確なことだった。なんとこのフィルムの感度は
ISO3000もある。
テスト撮影ようには、常用していたフィルム、EPRの感度をISO50に落とすことになる。レンズの前では真っ暗になるので、ポらパックの前に、むりや約6段分のNDフィルターを取り付けてある。それは固定してあり、フィルムの前なので、ファインダーに影響はない。
そのことを知ったのは、篠山さんの助手の時だ。
最大のメリットは、撮影してすぐに20秒後に見れることだ。
先生は全体的な雰囲気を見るが、アシスタントは、正確な露出を見る。
少しコントラストの 高いType107の、微妙なグラデーションを解読して、ポジフィルムとの関係を推察する。
そのおかげで篠山さんはフィルムの一部を切ってテストする霧現像はやらなかった。一コマも無駄にできないし、撮り始めにいい瞬間があることがままあるからだ。
だから僕も切現像はしたことは一度もない。
今はデジタルで撮ってすぐ見るのは普通だけれど、1970年代には撮影したテスト画像はポラロイドによって革命が起きていたといわけだ。ただ、
このころはまだハッセルブラッドしかポラロイドがつかなかったので、35mmのときは、ハッセルのポラで露出をはかり、撮影した。
コダクロームは増減感ができなかったが、エクタクローム系は3分の1単位で増減感現像できたので、正確な露出にあげることが可能だった。

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メインは傘バウンズ 1灯。テーブル代わりの手元はレフ版になっていて、このころは銀レフで強く反射させることにはまっていた。よく見ると目に二つのハイライトがある。そんなことするカメラマンはほとんどいなかったので、すぐに僕の写真だとわかる。

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写真は、一番最初のカットが良い時がある。なので、ポラロイドはあまり表情を狙わずに撮る。単純に露出と光を確認したいだけなのだから。でも、気の入ってない、リラックスした時がよかったりで、再現してもなかなか決まらず、ポラが最高なんてこともあった。

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ポラロイドTYPE 107 10枚入りだったかな。ISO3000の高感度だ。

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ハッセル用のポラパック。正方形に見える引き蓋の下に、NDフィルターを潜ませた。カラーは感度100だったのでフィルターは入れていない。
ポラロイドのカラーは独特なので、あくまでテストで、色にはポジと全然違うので
注意が必要だった。ただポラロイドから、フジのフォトラマになった90年代?、色がポジに近くなったので、カラーポラ(フォトラマ)が常用された。
現像時間はやはり2分ぐらいにかかったが、完全なテストになるので、待つことなく撮影を始め、現像があがったところで、チェックをして、問題なければそのまま進行する。

https://www.youtube.com/watch?v=h1L_fLJX7Gk

↑松原みき ラジオ 20歳のインタビュー(小室等)彼女の20歳の肉声を聞ける


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