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CRP FOTO JR新大久保駅界隈 2024年5月18日㈯&25日㈯ 撮影会+写真集 開催 新大久保駅改札前㏘1時集合!

今月の撮影場所は、山手線の新大久保です。2021年にも撮っています。コロナの真っ最中でした。やっと自由な時間を取り入れた今、スナップ写真への風当たりが強くなっていると、いろいろなところで書かれていますが、そんな変わっていないというのが実感です。この撮影会は、積極的にスナップ写真を撮ることにこだわっています。


★参加希望者は、⇩下の写真をクリックしてください。
初心者、初参加歓迎です。スナップの撮りにくい時代、CRPでは自由に撮ることを勧めています。もちろん声をかけて撮るのもOKです。

⇩ 撮影会参加希望者は下記をの写真をクリックしてください。
申込サイトに行きます。

2021年に撮った、新大久保の写真集は、5月11日の午後5時から誰でも、ダウンロードすることができます。16日午後4時59分まで。
https://www.amazon.co.jp/%E5%86%99%E7%9C%9F%E9%9B%86-CRP-%E6%96%B0%E5%A4%A7%E4%B9%85%E4%BF%9D%E7%95%8C%E9%9A%88-JAN-SHIN-OKUBO-JAPAN-PHOTOGRPHERS-%E6%92%AE%E5%BD%B1%E4%BC%9A-ebook/dp/B08XB51RZ3/ref=sr_1_1?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&crid=2QDY45CY63LZX&dib=eyJ2IjoiMSJ9.lXhsKiwYZnWx7JcsSzGABpAN8fJoWfsEA0g-XtSD58UmIWDmdWpCeoZopxlJZfKzN71pxTDR0GKsac4LQnz9iB2AS-FboVtoB4Ne56naIpVV8HQJKkKeSA_S1Wvi17LD8VNCzkb5_DYeepf-g-99B4zcTiaxnFKmdsK5huGuwAlzWHttYJ7Xx1_pRRv7pUWRAGudQ3BKv78UtRvcUgpY0VuVMmityONJkBpaLKJQBYQ.wnklF1tQ7z8OiQut_gl0DaWQlCuuSKc35Gs2Ttd1jZg&dib_tag=se&keywords=%E6%96%B0%E5%A4%A7%E4%B9%85%E4%BF%9D+CRP&qid=1715421900&s=digital-text&sprefix=%E6%96%B0%E5%A4%A7%E4%B9%85%E4%BF%9D+crp%2Cdigital-text%2C163&sr=1-1
2021年版は、↑こちらをクリックすると無料でダウンロードできます。15日まで。

2021年新大久保 photo Mkisuke Okamura

CRP TOKYO 新大久保 界隈 2021年1月BY 9 PHOTOGRPHERSTERUYO FUKUMOTO MAKISUKE OKAMURA TAKASHI KITAGAWATERUMASA ARIMA YASHUHIRO ITO YUICHI OIDEYUTA HIRAKUBO YOSHINORI KAMEI ALAO YOKOGI東京の異界、新大久保を9人で写真家によって撮影しました。https://aypcrp.com/TEXT byALAO YOKOGI大学1年の終わり頃だから今から54年前、1967年の冬の話だ。自分の青春時代なのだから記憶はありありとしてそんな昔には思えない。そんな時間の座標を巻き戻し、1967年の54年前といえば、1913年大正3年のことになる。きっと18歳の僕だったら、71歳の老人に昔ばなしをされたところで、何の興味もわかず、あくびをしたかもしれないけれど、いやいや今とさして変わらず人類の営みの同一性を笑ったかもしれない。今、新大久保といえば、韓流ブームの韓国タウン落ち着き、ベトナム 、ネパール、パキスタンなどアジア系の人々が増え、イスラム横丁なんていう路地まで出現しどこかアジアの街の気配に溢れている。ただそれらは、ごくごく最近のことでしかない。今の新大久保のホームから周りを見ると、活気にあふれているが、目を閉じて、東側の街を思い出すと、薄暗くぼんやりとした住宅街のなかに、ぼおっとした赤いサカサクラゲのネオンがひとつわびしく灯っていたことを思い出す。このあたりは千駄ヶ谷と同じような、連れ込み旅館が点在している地域だ。連れ込みホテルではない。あくまで連れ込み旅館だ。玄関は引き戸になっていて、ガラガラと、あまり古風過ぎて入る勇気はなかった。そんないかがわしい街に、美しい姉妹が、なんと駅のすぐ東側、今は線路に沿った広い道のあたりの平屋のアパートに住んでいた。姉は僕と同じ大学のクラブの先輩で、妹は何をやっていたのだろう、どこか専門学校に通っていたのかもしれない。僕はその姉に気に入られていたので、たびたび、といっても全部で5回ぐらいかな、夜、アパートに遊びに行った。僕は男兄弟で、高校は男子校だったので、女性にはまったくうぶであった。6帖ひと間の女性の部屋の怪しさに圧倒されながら、ひたすらおしゃべりを聞いていた。姉妹はこたつを挟んでよく歌を歌った。姉は僕よりひとつ年上、社交的でにぎやかだった。小川知子の♪食べてしまいたいわ♪「あなたに夢中なの」を歌った。2、3歳下の妹はとてもシャイだった。妹はゴールデン・カップスのマモル・マヌーとウォーカー・ブラザーズのスコット・ウォーカーの熱烈なファンで、その名前が口にだすたび姉妹で嬌声を上げた。僕は、若い女性の毒気にあてられた。一度だけ、妹とデートしたことがあった。前後は思い出せない。歩きながら会話ははずまず、日比谷公園の見える夜の歩道橋から二人でずっと道路を眺めた。今の僕から考えると想像できないうぶすぎる思い出だ。翌年、大学は学園紛争の季節になり、バリケード封鎖された学園は1年間休みになった。大学のクラブは一度解散したので、その姉との繋がりはなくなり、妹とデートしたのはその一回だけだった。ところが、僕の写真集「あの日の彼 あの日の彼女1967-1975」に渋谷パルコの2Fにあったカフェで妹を撮った写真がある。だからもう一度だけあったようだ。写真を撮らせてというと拒否され下を向いた。髪の毛で顔が写っていない。


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