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ON THE PLANET JULY 2015 alao yokogi

002  JULY 2015  グレートリバーロード ミシシッピ州
とうもろこし畑。 
「世界の街道をゆく」の撮影では、移動中も休むことなく撮影をしている。フロントウインドウに固定された車載カメラは、ほぼ回しっぱなし。そのコントロールもあって僕は助手席に座り、主にスチール撮影をしている。もともと車の運転好きなので、その風景がスでき、いつも運転席に座っている。運転中毒ともいえる。かつて90年代イギリスを、レンジローバーで作家と旅をしたとき、毎日1000キロぐらいひとりで運転した。アシスタンとがいるのに、ずっと僕が運転したというくらい運転好きだった。
「世界の街道をゆく」の撮影では、運転はできない。撮影をする必要があるから当然だ。撮影より運転を優先することはできない。
助手席からは、単焦点レンズの200mmF2.8を使っている。
このころは、EOSMarkⅢだったのでEFレンズだ。このレンズが大好きだった。なぜならコンパクトだからだ。僕は銀塩時代は、ズームレンズを使うことがなかった。レンズはすべて単焦点だ。
ムービー撮影では70-200mmを使用した。
時速50キロから100キロぐらいのスピードの時に助手席から見える景色は視線が数十メートル先にある。なので走行中の景色は200mmがぴったりだ。

フィルム時代は、今と違って35mmは一番小さなフォーマットのカメラだった。デジタルの時代とフィルム時代の最大の違いはそこにある。


ミシシッピ州  July 2015

撮影に臨むたび、僕は、どのサイズで撮るかを最初に決めた。
35がいいか、中判か、4x5か、8x10か。今でいえば、画像数を選ぶようなものだが、根本的に違う。情報量の大小で選んでいるわけではないからだ。今、1000万画素のカメラも1億画素のカメラも、普通の大きさで見るとほとんど同じに見える。部分を拡大してみれば圧倒的に1億画素は優れている。ポテンシャルというか、カタログデータのようなものだ。大伸ばしてこそ違いが分かる。
フィルム時代は、その情報量と言うより、明確に 35mmで撮った写真と中盤で撮った写真、大判、そして8x10と「たたずまい」が違って見える。
デジタルでも、同じ画素数で、フルサイズや中版と、APS-Cやフォーサーズ、もっと小さ何さなIphoneのセンサーによる情報量だけではなく、写りの違いはわかるだろう。まあ、iphoneなどはかなり画像処理がされているので、純粋にフォーマットの違いはわかりずらいが。
それでも、仕事でIphoneを使うより、高級なミラーレスで撮ったほうが、信用されるし、出来上がりも細部を見れば明白かもしれない。
デジタルはセンサーサイズは、大きいほうにはバリエーションがないので、僕のいう写真の「たたずまい」は、わかりにくい。
この辺りの話は、今回の写真じゃ、ぜんぜんわからないが、ただただ助手席から撮る写真は200mmの画角がぴったりだなといった、ひとりごとでもあります。

BLOCKFOTO 2015

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