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【小説】カレイドスコープ 第12話 恭平

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 ずっと好転する気配が無かった自分を取り巻く環境が、少しずつ上向きになっているのを感じていたせいか、恭平は少し浮き足立っていた自分の行動を後悔し始めていた。

 現在閉じ込められている部屋は内側から開ける事は出来ず、大声を出しても外に音が漏れない防音仕様になっている他、外界と連絡出来ないようにする為に妨害電波さえも張り巡らされているのだ。

 事務所のドアを叩いた時に出てきたのは、神崎の部下の一人で横澤と呼ばれていた人物で、神崎が戻るまでに同ビルにある別部屋へと案内されたのだ。

 いつもであれば事務所内のパーテーションで区切られた待合室に案内されるのに、浮かれていたせいか特に疑問も持たずにそのまま別部屋まで案内され、中に通されると同時にドアを閉められた。

 恭平は10畳ほどの部屋の奥に設置されているベッドの上に、誰かが倒れているのを発見すると、この状況を飲み込めないまま恐る恐る近付いて行った。

 倒れていた人物が若い女性であることが分かると少しホッとしたが、着衣の乱れやぐったりした様子からして、明らかに暴力を振るわれていただろうことが容易に想像出来る姿であったので、再び背筋が凍るような恐怖感が体を支配していった。

 ただ本能的にその女性の容態を心配する気持ちが持ち上がり、顔を覗きこんで様子を伺うと、その顔に見覚えがある事を思い出した。

 いつか事務所に呼ばれた際、その場に似つかわしくなく存在していた、オリエンタルな容貌をした10代後半の女性であったのだ。

 恭平は彼女が顔見知りである事を認識すると、そっと肩に手を置いて彼女の反応を確かめながら、意識がちゃんとあるのか必死に問いかけ始めた。

 「おい、大丈夫か? 声は聞こえてるか!」

 問いかける事以外何も出来ない無力さを感じながらも、どうにかして彼女を助けたいという気持ちが先走って、彼女の意識が戻るまで声掛けを止めることは無かった。

 女性は朦朧としながらも目を開き、恭平が肩を揺すっている事を把握すると同時に咄嗟に身をこわばらせ、怯えた目をしてベッドの後方へと体を丸めて逃げ出した。

 恭平は女性が意識を取り戻したことに安堵したが、自分が置かれているシチュエーションを上手く説明する事が途方も無く難しい作業に思えて、とりあえず両手を上げて降参しているように見せるポーズを見せた。

 「何もしないから安心してくれ。 俺もここに監禁されたらしいから、あんたと同じ立場だよ。」

 女性はじっと恭平を観察した後、身の危険の可能性が無い事を確信して、小刻みに震えていた体が収まるのを感じていた。

 「あんたは誰で、どうしてここに閉じ込められているんだ?」

 恭平はなるべく女性を興奮させないように、声のトーンを抑えて話し掛けたが、女性はそれに答える様子は無く、その代わりに視線を一瞬天井の隅に移してから、再び恭平の方に向き直った。

 恭平は女性が視線を投げ掛けた先をチラッと振り返ると、そこには監視カメラらしき装置と集音マイクのような機材が設置されていたので、女性が意図する事を瞬時に判断した。

 その後女性はおもむろに立ち上がってからバスルームに行くと、蛇口を捻って水を出す音を出し始めた。

 恭平は一人部屋に取り残されたので、この状況をどうにか把握しようとしてスマートフォンをポケットから出したが、そのディスプレイには圏外の表示がされていて、電話もネットも繋がらないようになっていて、どうやら八方塞になっている事を思い知らされた。

 女性は顔を洗ってきたのかタオルで顔を拭きながらバスルームから出てきたが、恭平に無言でタオルを渡すと、バスルームに行くように促すジェスチャーをした。

 女性の視線があまりにも真剣なので、タオルを受取りバスルームに行くと、洗面台に設置してあるミラーが湯気で曇っていて、そこに指で書いた文字が消えそうになりながら残っていた。

 (けいたいがあれば、といれにおいてほしい)

 全部ひらがなで書かれたそのメッセージの意味は良く分からなかったが、どうせ電波が繋がらないスマホだったら悪用される事も無いので、メッセージに書かれた通りに用を足す振りをしてトイレにスマホを置いておいた。

 恭平がトイレから出た後で女性も交代でトイレに入り、しばらくしてから手ぶらで出てきたので、スマホがトイレにあるままである事を理解した。

 特に何のそぶりも見せずに部屋に戻った女性に対して、それがどういった意味であるのか分かりかねたが、もう一度トイレに行った時にその意図をはっきりと理解出来た。

 スマホはメール画面が起動されており、そこには女性が打ち込んだメッセージが残っていたので、恭平はその文章に目を通した。

 (はなしは ぜんぶ あいつらに きかれる  あなたは みがわりが しぬまで ここに とじこめられる)

 また全部がひらがらで打たれている事に疑問を覚えたが、それよりも「みがわりが しぬまで」というくだりでひどく動揺し、改めてとんでも無い事に巻き込まれたことを自覚して、全身の力が抜けていき、その場で思わず膝をついてしまっていた。

 とにかく自分の状況を出来るだけ正確に把握したいのもあり、焦りながらそのメールの下に同じようにひらがなで質問を羅列していった。

 (きみは なぜ ここにいるの?  みがわりは だれ? これから おれたちは どうなるのか?)

 最期の質問を打ち込む時には、最悪の状況も頭をかすめた為に、スマホをフリックする指も震えたが、情報が無い限りは何も対策を考える事は出来ないので、気持ちをなんとか持ち直させて、打ち終える事に成功した。

 なるべく平穏を装ってトイレを出ると、女性は一瞬だけ目配せを恭平にしたが、すぐに興味が無いような素振りをしてベッドの隅に腰かけた。

 恭平は改めて部屋の中を観察し始めると、ビジネスホテル並に設備は整っている事が分かり、最初に感じた監獄のようなイメージが徐々に払拭されていった。

 ただ大きな違和感の要因は、部屋のどこにも窓が全然無い事であり、部屋の隅っこの天井付近に小さな換気扇が付いているだけが、唯一の外界との接点のようであるのを感じた。

 24型くらいの大きさの液晶テレビも机の上に設置されていたので、早速リモコンを手にして電源ボタンを押すと、普通に地上波の番組も見れるようになっていたので、それが恭平の心を少し安心させた。

 そしてチャンネルをザッピングしていると、突如リモコンがその機能を失って画面がブラックアウトしてしまったのでもう一度電源ボタンを押してみたが、完全にコントロールを失ってしまっているので画面を覗き込むと、そこに突如事務所のパソコンの前にふんぞり返って座っている横澤の姿が映りこんだので、恭平は咄嗟に後ずさりしてしまった。

 画面の横澤は二人の姿を、室内カメラを通して観察していたようで、まるでテレビのドッキリ番組の司会のような意地悪な表情をその顔に浮かべ、得意げな口調で話し始めた。

 「おい、分かっているとは思うが、いくら時間を持て余してヒマだからって、そこの女に手を出すんじゃねぇぞ。 お前も無事にそこから出たいんだったら、せいぜいせんずりぐらいで我慢しときな。」

 恭平をからかって満足したのか、下衆な笑みをその顔に浮かべた後、今後の事について話を始めた。

 「まぁ神崎さんが帰ってから、改めて今後の取引について話をする予定だ。 それまではそのスウィートルームでゆっくりしておくんだな。 それから部屋についているカメラは、俺が見てなくても録画はバッチリされてるんだから、変な事考えない方が身のためだぞ。 その女の全身見たら、どんな目に遭うかは想像出来るよな?」

 ひとしきり恭平を脅した後で画面はまた地上波の番組に切り替わり、その中ではコメディアンが神妙な顔をして政治家の汚職について浅く語っていた。

 恭平は再びベッドにゆっくり腰を下ろすと、そのタイミングで女性はトイレへ向かって行った。

 頭の中では「みがわり」という単語がグルグルと回っており、様々な可能性を考えつつもどうしてもその答えが泰人であるような気がして、どうしてそのようないきさつになってしまったのかを必死に考えていた。

 女性がトイレから出てきたので、スマホに先ほどの回答が打たれている事を理解したが、すぐにトイレに駆け込むと怪しまれるような気がしたので、その代わりにわざとマイクに拾われるような声量で女性に話しかける事にした。

 「ここの事務所で会った事あるよな? 俺は岡野っていうけど、あんたの名前は?」

 いかにも初めての会話を装って、恭平は女性に話し掛けてみた。

 しかし女性は岡野には目もくれずだんまりを続けていたので、岡野はその意図を理解し、他人に対して心を開かない振りをする事で、スマホを使ってやり取りしている事を悟られないようにしているのが分かった。

 テレビ画面には、連日ゴシップとして騒がれている2世アーティストの突然のデビューイベント中止について、MCの中堅タレントがゲストの芸人にコメントを求めている様子が流れていた。

 恭平にとってはどうでも良い内容であったが、隣に座っている女性はその番組から目を離さず、一語一句を聞き逃さないように見える程真剣に画面を見つめていた。

 出演者はいい加減な憶測を次々と口にしながらも、コメントの最期で「良くわかりませんがね」と結ぶことで、全ての責任を放棄しているように見えなくも無い常套句で締めくくっていた。

 その一連のスタジオ内でのやり取りで目を引いたのは、闇社会に詳しい記者の一人が注意深く発した一言で、「ちょっとあまり良くない筋と関係があって、脅迫されているっていう情報も入っているんですよね」と言ったものだったが、MCのタレントはそのコメントを広げることなく、次の動物園で生まれたライオンの赤ちゃんの話題へと軽やかに切り替えた。

 横の女性は話題が切り替わると同時に番組に興味を無くして、深く腰をベッドに沈めて寛いだ姿勢を取ったので、そのタイミングでももう一度トイレに行くことにした。

 スマホは便器の蓋の上に置いてあったので、早速その画面を覗くと、最初の質問の答えは無く、残り二つの質問の答えのみがまたひらがなで打たれていた。

(みがわりは ふねにのった  ここにしばらく かんきんされる  ふたりで にげたい)

 「ふね」という単語で、恭平は「みがわり」が泰人である事を理解したが、何故このような状況に陥っているのかは全く想像も出来なかった。

 そして自分達が決して殺されるわけでここに監禁されている訳では無い事が分かったので、若干心に余裕を持つことが出来たのであるが、最後に打たれてある「ふたりで にげたい」という一文に、やはり死を覚悟しなければいけない可能性がある事を感じ、大きく深呼吸して気持ちを引き締めた。

 あまりトイレに長く篭っていると怪しまれる可能性もあるので、焦りながらも手早く女性に対してメッセージを打ち込み、一応水を流してからトイレを出た。

 咄嗟に頭に浮かんだ作戦なので、それを具体的にどのように行うかは考えられなかったが、女性に同意を貰ったら行動に移せる自信はあった。

 部屋に戻ると女性は今までの極度の緊張と疲労のせいか、寝息を立ててベッドの中で寝ていた。

 恭平はそこに一緒に入る事は憚れたので、部屋にあったソファに腰かけて、体力を温存する為に目を閉じって少し寝るように試みた。

 ぼんやりした意識だった為にどのくらいの時間が経過したのかは分からなかったが、突然テレビの電源が再び起動され、その画面に神崎が映っているのを確認すると、一気に恭平の目は覚めた。

 「どうだ? ゆっくり休むことが出来ているか?」

 神崎は恭平が緊張と恐怖で神経を張り詰めている事を知っていながらも、水槽の中の金魚を猫がいたぶるが如く、発する言葉の温度を変えることなく淡々と話し掛けてきた。

 「突然その部屋に招待してしまったせいで、少し驚かせてしまったかな? ただちょっとの間だけお前に外をフラフラ歩いてもらったら困るんで、衣食住付きの待遇でそこにいてもらうから、そんなに悪い条件じゃあないだろう。」

 恭平は泰人の事をその場で神崎に対して問いただしたかったが、そうすると今の状況が悪化してしまう可能性がきわめて強いので、その代わりに別の質問をした。

 「俺は、いつまでここにいればいいんだ?」

 ふと恭平の頭に浮かんだのは、泰人との約束で彼の彼女を助ける為に、ドナーとして病院に行かなければならないという事だった。

 二週間後の水曜日に行かなければ、ドナー移植の手術の予定がキャンセルされてしまう。

 泰人が身の危険を顧みずに行った行為に報いたいという選択は、恭平の中では揺るぎない一択だったので、なんとしても実行しなければいけない強い義務感を感じていた。

 「まぁ、一ヶ月弱といったところだろう。 あ、それからそこを出る時には、お前の戸籍は無くなっているんで、俺らが持っている戸籍のどれかを売ってやるよ。 まぁ交換条件としては、お前の希少な血液をちょっとだけ裏のルートで売りさばかしてもらうんで、それでチャラにしてやってもいいぜ。」

 神崎は相手に充分恐怖と不安を味あわせたことに満足した表情を浮かべると、恭平がどんな反応をするのかを、蟻の動きを観察する子供のような好奇心を持って待っていた。

 恭平は予想だにしなかった情報の数々に心が付いてこらず、すぐには反応できなかったが、このまま相手のペースに飲まれてしまう事が一番良くない事が本能的に察知出来たので、なるべく声の抑揚を変えずに神崎に質問をした。

 「衣食住って言うんだったら、着替えや食事は提供してもらえるって事だよな。 どれだけリクエストさせてもらえるんだ?」

 散々脅しを盛り込んだにも拘わらず、恭平が的を得ない質問を返してきたことに、神崎は少し眉間に皺を寄せて不快感を表したが、部下がその場にいて一緒にその様子をみているせいか、怒鳴る訳でも無く、あくまで主導権を持っているのを強調しながら、諭すような口調で質問に答えた。

 「食事は一日2回で、昼の12時と夜の9時前後の予定だ。 着替えは下着類だけ毎日用意してやるよ。 あと横澤から聞いてると思うが、そこの女と余計な会話をするんじゃねぇぞ。 お前らの行動は、監視カメラとマイクで筒抜けだからな。」

 恭平は目配せで返事をすると、再びソファに深く座り込んで、神崎に対してリラックスする振りを見せた。

 テレビの電源が再び落ちると、寝ていた女性が再び起きてトイレに行ったので、次のメッセージが打ち込まれるのを理解した。

 恭平は迷いを振り切りここから脱出する事のみに集中し、泰人との約束を果たす事だけを取りあえず目前の目標にする事に心積もりを決めた。


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