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【小説】カレイドスコープ 第14話 恭平

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 監禁された最初の3日間は生きた心地はしなかったが、神崎とその部下の行動パターンを一通り理解すると、この生活に絶望した振りさえしておけば、特に何かされる事が無い事が分かり、口数も減らし従順に見せた振りを続ける事にした。

 スマホの電源はトイレの電気洗浄機のコンセントを時々抜いて充電し、本体は便器の裏側に一見分からないように隠しておき、女性とやり取りを続けて具体的な作戦を刻々と立てていった。

 日々のルーティーンとしては、昼前11時と夜の20時頃に食事が部屋に届けられるようになっており、その方法としては部下が二人組で現れ、一人が食事を中に入れている間にもう一人がドアの前に銃を持って立っているという形であった。

 そして最初の食事の差し入れの際に、10枚ずつ入った下着類やタオル類のセットを無造作に投げられ、着替えは全て使い捨てるように指示を受けた。
その間にも恭平は女性と何度もスマホでやりとりをして、逃亡する手立てとタイミングを事細かく決めて精緻度を高めていった。

 ようやくやり取りの中で女性の名前がエレナだとは分かったが、それが外国語名なのか漢字で書くのは結局判明しておらず、依然として彼女の素性は不明のままであった。

 監禁されてから9日目の昼前に、久々に室内のモニターの電源が付き、神崎が機嫌の良い声で話し始めた。

 「岡野、お前はラッキーだぞ。 何せ大金がこれから家族に入るんだから、願ったりかなったりの状況だろ。 俺には感謝しても足りないぐらいだと思うぜ。」

 恭平は神崎の真意を図りかねてそのまま無言を貫いたが、神崎は話の続きを言いたくて堪らないようで、いつものように焦らす事無く饒舌のまま振舞った。

 「芳川は慣れない船仕事で身を滑らせ、そのまま夜の海へと落ちていったそうだ。 乗員が気付いたのも朝になってからだから、もうどこに流されてしまったかも分からない状態だとさ。 なんたってお前名義の保険金になってるから、船が戻ってきてから保険の調査員が状況を調べた後、思っても無かった大金が入るんだからな。」

 恭平は先日神崎が言った言葉を思い出し、その真意が分かってゾッとした。

 確かに神崎は「お前は戸籍が無くなる」と、恭平に向かって話したのだ。
それはすなわち今回の泰人の事故は偶然では無く、どの地点からは定かではないが、最初から仕掛けられていた事で、恭平も神崎に従わざるを得ない状況に追い込まれているという事なのだ。

 こんなギリギリの地点まで到達して、初めて恭平は自分がしてきた選択が間違っていたことに気付き、それに対して激しく後悔をしたが、ただここで絶望して何もしなければ更にその下にまで落とされてしまう事を本能的に自覚したので、自暴自棄にならずにエレナとの作戦を確実に遂行する事を心に決めた。

 その夜は眼を瞑って横になったがほとんど睡眠をとる事は出来ず、何度も頭の中で次の日に行う作戦をシミュレートしていた。

 エレナは事務所に連れてこられて1ヶ月近く経過していたので、どの曜日のどの時間帯に誰が事務所にいるかをほとんど把握していたので、その記憶を元に作戦の決行日を決める事になった。

 水曜日の夜だけは、一番下っ端の田淵と言われる部下が事務所に居残りし、その相方として居残るはずの相田は先輩風を吹かせ、大抵の場合は22時以降から朝の3時くらいまでは風俗に通っているという話だった。

 田淵は威勢がいいが小柄で腕っぷしも普通で、組員の中では一番ヒエラルキーが下であるのは明白なので、そこが唯一の突破口のように思えたのだ。

 夜も23時を過ぎた頃に、エレナはベットの中に入ってから、バスルームの陰に潜む恭平に目配せしたのち、大声を出して大袈裟に体をよじり始めた。

 「止めて! 触らないで!」

 バスタオルを数枚丸めてクッションと布団の中に入れているので、カメラから見たら二人が布団の中に入っているように見えているはずだった。

 この光景は事務所に居る田淵に見えている可能性は強いので、すぐにこの部屋に来るだろうことは分かった。

 他の日だったら二人組で来るところだろうが、相田がいない時間帯でトラブルが起きたのを止める事が出来なかった場合、田淵はきつく当たられるはずなので、わざわざ相田に連絡をして待つことをしないだろうと、二人は予想していた。

 案の定3分も経たずに部屋の外側から鍵穴に鍵を差し込む音が聞こえてきたので、恭平は緊張しながらも、トイレの貯水槽の蓋を両手で力を込めて抱え、バスルームのドアの陰に隠れて田淵が横を通り過ぎる瞬間を待っていた。

 ドアが開いて怒声と共に田淵が入ってくるのが分かったが、なんだか想像していたのと違い、複数の人間が居る気配がしたので、慌てて恭平はその身をバスルームに隠した。

 部屋に入ってくる足音は明らかに複数の人数で、田淵の声に混じって神崎の声が聞こえた時には、この計画が無残に終ってしまった事を悟り、手にしていたトイレの貯水槽を握った腕の力も、すっかり抜けてしまっていた。

 「なんだなんだ? たまたま用があって事務所に寄ったら、お前一体何してくれてんだ?」

 神崎がいつもより苛立ちを見せながら怒鳴って居る声が、すこしくぐもってバスルームまで聞こえてきた。

 このままではエレナが責められるのが分かったので、震える体を奮い立たせながらバスルームを出ようとした瞬間、体の震えが突如倍増して、その場所に立っている事さえできなくなってしまっていた。

 自分の体の変化に恭平は驚いたが、一瞬後にその震えは体の変調では無く、部屋自体が揺れているせいである事を理解し、咄嗟にバスタブに入ってから身を屈めて地震が収まるのを待った。

 部屋の方からはエレナの悲鳴や神崎達の悪態が聞こえていたが、激しい揺れは恭平が今まで生きてきて一度も経験したことが無いくらいの恐怖を生み出していたので、成す術も無く身動きせずにじっとしていた。

 ようやく揺れが収まった時にバスタブから顔を上げると、体感的には10分程度は揺れていたような気がしていたが、スマホの画面を見ると5分も経っていなかったので、それほどまでに激しい振動であった事を恭平は再確認した。

 顔を上げてバスルーム内を見渡すと、天井の高さが半分程度になっている事に気付き、どうやら上の階が倒壊して天井に荷重がかかっている事が分かった。

 恐る恐るバスルームから出ると、部屋の中も至る所が倒壊していて、備え付けのクローゼットが倒れた場所から田淵と思われる足が覗いていて、身動き一つ見せないその様子に、生気を感じる事が全く出来ず、既に事切れている事が分かった。

 天井が崩落していて部屋の中を瓦礫が覆い尽くしていたが、恭平はベッドがあった付近へと瓦礫をよけながら近付くと、どうやらベッドにも無数の瓦礫に埋め尽くされており、エレナを助ける事が出来なかったことに途方に暮れてしまった。

 しばらくはそのまま何も考えれずに立ち尽くしていると、ベッドの下のスペースからわずかに咳き込む声が聞こえてきたので、恐る恐る顔をベッドの下に近付けると、丁度這い出てこようとするエレナと目が合い、その瞬間に「エレナ!」と、この部屋に監禁されてから初めて言葉を発した。

 周辺に散らばっている瓦礫を急いで除けて、恭平はベッドの下から出てこようとするエレナの手を引っ張って手助けすると、反射的に思いっきり抱きしめた後、手を取ってこの部屋から出ようとした。

 丁度ドアが開けっ放しになっていたお蔭で、そのまま潰れて固定されていたのもあり、すぐに脱出が出来るのを確認して足を踏み出すと、「待て!」と弱々しい声が部屋の片隅から聞こえてきた。

 声のする方に二人が顔を向けると、そこには瓦礫に埋まって頭から血を流しながらも、右手に握った銃で二人の方向に向けている神崎の姿があった。

 二人は足を止めて神崎の方向に向き直ったが、その様子は弱々しく虚勢を張っているのが明らかだったので、不思議と怖さを感じる事は無かった。

 「お前ら俺を置いて行こうって考えてんじゃねぇだろうな? 撃たれたくなかったら、俺の足元の瓦礫を二人でどけやがれ。」

 恭平は一瞬どうしようか迷ったが、エレナは神崎の方に向かって足を踏み出したので、それに吊られてついて行く形になった。

 エレナは神崎の前にしゃがんで瓦礫を取り出したので、恭平もそれにならって戸惑いながらも瓦礫を少しずつ動かそうとすると、突然神崎が断末魔の叫びをあげたので、手を止めて神崎の顔を見上げると、エレナが持ち上げた瓦礫が、神崎が銃を持った右手の上に投げつけられていて、その右腕は明らかに不自然な方向へと曲がっていた。

 神崎は言葉にならない罵倒を繰り返し叫んでいたが、エレナはその様子を顔色一つ変えずに眺めると、右手に持ったこぶし大の瓦礫を神崎の顔めがけて投げつけて、その口を黙らせた。

 恭平は呆気に取られてしまいその場で動けなくなってしまっていたが、エレナが再び恭平の方に向きかえると、冷静さを取り戻して部屋から脱出する事を再開した。

 廊下に出ると、なんとか人一人が屈んで進めるスペースがあるくらいで、発生した地震の大きさを改めて実感したが、脱出途中に事務所のドアが壊れて開いていたので、エレナは中に入るとダイヤル式の金庫を開け始めた。

 恭平はエレナの行動の一つ一つに迷いが無い事に対して、質問を投げ掛ける事や引き留める事が出来ず、その後ろを付いていく事しか出来なかったが、金庫が開いた時に彼女が必要な物が分かり納得した。

 金庫の中には彼女のパスポートの他、様々な人の免許証や戸籍謄本が保管されており、どうやらきな臭い匂いが充満している中身であったが、その中に泰人の免許証や戸籍謄本までも入っているのが見え、もう取り返しても意味が無い事は分かっていたが、そのまま金庫に入っている事に怒りを感じたので、取り戻すつもりで盗み出した。

 エレナの行動には迷いが無く、パスポートの他に現金が入っている封筒を見つけたので、遠慮なくそれも拝借し、バッグ代わりにゴミ捨て用の半透明のビニールに全てをぶち込むと、外に出るべくまた狭いスペースを抜けていった。

 やっとの事で外に出ると、目に入った光景は記憶に或る景色と遠くかけ離れており、倒壊した建物が視界の限り広がっていて、途方に暮れている人がいる傍らで、力の限り泣き叫んでいる女性が誰にも相手にされず徘徊していて、改めて尋常ならざる事態に最中にいる事を自覚し、しばらくその場に立ち尽くす以外に恭平には何も出来なかった。

 次回


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