見出し画像

【小説】カレイドスコープ 第13話 泰人

 前回

 早朝の波止場の風は思ったよりも寒かったので、早起きしてまだ働いていない脳を刺激し、泰人の意識もすぐに通常の状態へと戻す事が出来た。

 神崎が上手く恭平の代わりに業者へねじ込んでくれたお蔭で、難なく乗船出来るように事を運んでくれたが、恭平が1週間かけて覚えたことを、3日間ほとんど寝ずに詰め込んで身に着けてきた。

 ただ急な交代のせいで、相手側には泰人の必要書類を作成する事が出来なかったため、あくまで恭平として乗船しなければならず、そのために髪を切って髭を剃り、書類に貼られてある証明写真に似せて乗り込まなければならなかった。

 顎鬚が無い状態にまだ慣れていない為か、無意識に左手で髭の無い顎をさすりながら船に乗り込んでいったが、後ろから着いてくる原口という陰気な男は、まるで死刑台に向かって歩くような重い足取りだったので、歩調を合わせることなく先に進んでいった。

 一応名目は遠洋漁業用に船舶ではある為に、その大きさは泰人が予想していたよりも大きく、小さい頃に遠足で乗ったことがある観光フェリーが記憶の中では巨大だったのだが、それをいともあっさりと覆すくらいの迫力が備わっていた。

 しかし無骨な機械類が甲板に鎮座し、無味乾燥な配色で塗られた船内は、まるで海に浮かんでいる工場に入ったような感覚にもさせられた。

 早速居住スペースに案内されたが、泰人がこれからしばらくお世話になる部屋は、寝返りも打てないような狭いスペースのベッドであり、しかも天井まで150cmも無いスペースに、二段のベッドが配備されているような環境であった。

 その部屋で一緒に寝食を共にする相手が、陰気な原口である事が更に泰人の気持ちを暗澹とした気持ちにさせたが、特に会話をする必要性も感じていなかったので、とりあえずお互い干渉せずに過ごしていく方向性で考える事にした。

 出港後泰人は自分のスマートフォンを出してメッセージのチェックをしたが、恭平から何も届いていない事に若干の疑問を感じていた。

 特に他愛のない事をやり取りする仲では無かったが、恭平の性格からして出港時になんらかもメッセージを送ってくる可能性はあったので、自分が何か期待している事に猛烈に自己嫌悪して、ポケットにスマートフォンをしまった。

 大きな船なのでそんなに波の揺れの影響を受けないと高を括っていたが、いざ乗り込むと三半規管が慣れない環境に刺激され、初日はそんなに激しく船内で動き回ってないにも関わらず、夕食時にはグッタリしていて、食事もあまり喉を通らない状態になっていた。

 泰人は早々と自室に戻り、とりあえず横になって体の疲労だけでも回復させようと試みたが、体の疲れ具合に反比例して意識は冴えわたっているので、船内のあらゆる雑音が耳に侵入してきて全然眠りにつくことが出来なかった。

 そこに夕食を食べ終えた原口が戻ってきたが、特に挨拶を交わす必要性も感じていなかったので、そのまま寝たふりを続けることにした。

 原口はどうやら備え付けのキャビネットを開けて何やら探しているようで、何かを見つけた後にキャビネットの扉を閉めると、不愛想な声で恭平に話し掛けてきた。

 「おい、乗船時に部屋の備品として常備されている酔い止めだ。 寝る前に飲んどいた方がいいぞ。」

 まだ寝ていない事がばれていたようなので、返事はせずに目を開けて原口の方に視線を向けると、ぶっきらぼうに薬とコップに入った水がその両手にあった。

 泰人は警戒心を解かずにも原口から薬を受け取り、一気に水で喉の奥へと流し込んで、「すまん」と一言だけ呟いた。

 原口は部屋の中の簡易チェアーに腰かけると、徐にジャケットの胸ポケットから煙草を取り出したが、室内が禁煙である事を思い出して再びポケットにそれをしまった。

 「よう、神崎がお前の事裏切ってるの、気付いてるか?」

 原口は泰人に鋭い視線を投げ掛け、相手の反応を待っているようであったが、それとは裏腹にその口元は自虐的な笑みを浮かべていた。

 泰人は黙って原口を見返したが、その言葉の真意も分からないし、原口という人間に対しての信頼感も全くなかったので、どのような意図でこんな話をし出しているのかを、頭の中で考えていた。

 「俺の言っている事を信じてないって顔してるよな? 確かにお前にこんな話をしたって何のメリットも無いしな。 別に知りたくなきゃそれでいいさ。 俺だって単に憂さ晴らしにお前に愚痴りたいだけっていうのもあるし。」

 泰人の予想通り、原口という男の人間性が露悪に表出してきているのに辟易したが、恭平から連絡が無かったことがふと頭の中を過ぎり、はからずも返事をしてしまっていた。

 「あんたはどうしてこの仕事の依頼から、一回逃げ出したんだ?」

 原口はあからさまに不機嫌な表情を浮かべ、舌打ちすると同時に壁に背中を預けると、投げ遣りに話し出した。

 「借金が多くなって困ってた時によ、神崎が短期で稼げる仕事があるって言ってきたんだ。 そりゃオーナーになってる店を守る為にも、胡散臭い話に乗ってみたんだがよ、全く割にあわねぇ話だって後で分かったから断ろうとしたらな、今度は契約不履行で俺を始末するって脅し掛けてきたからよ、もう相手してらんねぇと思って、しばらく身を潜める事にしたって事だ。」

 泰人は原口がまだ全部を話していないと感じたので、その話に相槌を打たず、わざと間を作って話の続きを促した。

 「俺もあいつらが所詮地方のチンピラ風情だと高を括っていたところもあったけど、執念深さは並大抵のものじゃなくてよ、隠れ家として使っていたアパートも突き止められて、連行されたった感じさ。」

 泰人に取っては、神崎の粘着質の性格は見くびれるものでは無い事を本能的に感じていたので、逆に目の前の原口がとても浅はかで表面的な人生をこれまで送ってきているようにも感じられてしまった。

 話をした印象では、やはり原口と言う人間性について信頼感を持つことは難しいという判断になってしまっていたが、ただその話を信じるかどうかは自分が判断すれば良いと思え、そのまま会話を続けて情報を得る選択をした。

 「とりあえず俺煙草を吸いたいし、お前も酔い止めを飲んだばかりだから、外気を吸いに外に出ようぜ。」

 夜に未許可で甲板に出る事は安全上禁止されていたが、ここで流れを止めてしまうのも憚れてしまうので、Tシャツの上に部屋に備えられていたジャケットを羽織って一緒に外に出て行った。

 最小限の明かりしか灯っていない甲板では、海が漆黒の闇に包まれていて飲み込まれそうな雰囲気を出していたが、原口が足を先に進めるがままにその後をついて行き、後方の奥まっている風除けがあるところまで来ると、そこで煙草に火を点けて大きく煙を肺に吸い込み始めた。

 「お前とこの仕事を交代したヤツ、神崎のところに監禁されているらしいぞ。」

 原口の口調からは神崎と同様に、相手の反応を伺って楽しんでいる気配が感じられて、泰人は仏頂面を貫いたが、頭の中ではフル回転でどういった事が起きているのか、想像を巡らせていた。

 「神崎は金になる事だったらなんだってするからな、お前の連れが特殊な血液を持っている事に気付いて、それが結構な金になる事を知ったから、どうやら取引をしてそれで金を稼ぐことにしたみたいだ。 お前の妹も可哀そうにな。」

 泰人は徐々に興奮で鼓動が高まっていくのを感じたが、それと同時に体が急に重くなっていくのが分かり、思わず手すりに掴まってそこに体重を掛け、倒れてしまわないように意識を集中させた。

 「そろそろ薬を飲んで10分くらい経つから、効果が出てきた頃だよな。 お前には恨みは無いけどな、俺の仕事は急きょ変わって、この船での手伝いからお前を始末する事が優先事項になったんだよ。」

 もう床に顔が付いてしまいそうなくらい意識がもうろうとしていく中で、原口は泰人を肩に担ぎ、そのまま無抵抗な体を手すりの外へと徐々に押し出していった。

 「人の事言えねぇが、お前も色んなところから恨み買ってるみたいだな。 とりあえず今回は俺の方が運は良かったって訳だ。 まぁ俺も碌な死に方しねぇかもしれないけど、先に向こうでよろしくやってな。」

 原口は自分に言い聞かせるように独り言を言いながら、泰人の体を手すりの外へ完全に投げ出した。

 泰人は分散していく意識の中で、沙耶の事や泰人の裏切りについて考えようとしたが、どうにも上手くいかずにそのまま眠りに落ちそうになった。

 そして顔を伝う風を数秒間感じた後で、全身が海の中に落ちてしまった事に気付いた直後、完全に意識が途絶えてしまった。


 次回


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?