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トゥクトゥーン

皮膚に付着した青の話

旅先で入った温泉でのことである。
平日夜でほとんどお客さんがいなかった。9時過ぎまでいた子ども連れ客が脱衣所に行くと、賑やかさはひとたび消えて静かになる。
ぼーっと湯船に浸かっていたら、1人おばあさんが入ってきた。老婆はタオルを落としたことに気づかぬまま身体を洗いに行った。
視力がそれなりに悪い私には、残像込みでお婆さんが映る。しかしそれでもわかる明らかな銭湯熟練者で、手持ちのカゴには必需品がたくさん詰められていたようだった。マットの上にピンポイントで落とした、そのピンクのタオルをとる素ぶりはない。カゴの整頓をしている。一連が視界に入っていた私は、気になって仕方なかったので湯を出てタオルを拾い渡した。
おーありがとう😊という、視力0.1ナイズされたぼやけた老婆の笑顔がうつって、いえいえ、と私も言ってすぐに湯船に戻った。感謝を述べられた時の反応が苦手で、感じがいいカンジを出しすぎる感じでその場を強制終了させた。私のお得意の「はち切れんばかりの気遣い」である。コレに関しては、メチャクチャ嫌な大人に囲まれ「おかしい」と糾弾されたこともあり、非常に嫌な癖だがやめられない。個性だっつーの🤨
そうしてなんとなく水風呂に入っている間、お婆さんが身体を洗い終えいちばんあたたかい湯に入った。なんとなく0.1%のトゥクトゥーンみたいなこと(この音は東京ラブストーリーで、意味は図書館で手が触れて目が合うとか、ハンカチ落としましたよで恋に落ちるくらいの偶発的な何か)がある気がして、身体も冷えていたので湯船に行ってみた。
するとびっくり、本当におばあさんに話しかけられた。話しかけたいけど話すか迷ってる表情をした3秒後くらいに話しかけてくれた。
その瞬間がものすごく、犬が撫でてもらうか寝転がるか逡巡する態度に似ているなと思った。もしかしたらお互いそんなカンジだったのかもしれない。
多分タオルを拾ったうえでその後の対応が結構気さくに映り、同時にちょっと奇抜そうだから気になったとか、その辺の理由が話しかけるガソリンになったんだろう。口を開いた彼女は、アイドリングに綺麗な青やねと髪の毛を褒めてくれた。そしてのち、髪色の青が髪のみならず首周りに付きすぎてることも指摘してきた。嫌味を言うような人ではなかったけど、本当に気になったのはこちらだったのかもしれない。私はこんな髪色や生活をしといて、「普通になりたい」という願望が人よりも相当つよい。特に「髪色の色移りで肌が青い」的な小っ恥ずかしさは、なかなか得意じゃない。ワハハと乾いた笑い声を出して、私はおばあさんに全然皮膚に付着した青が取れないと相談をする。こすれば取れる、という相談する前にすでに私がやったであろう意見を迷いなく出してくれた。何回もやったけど無理だったんですよーと申し訳ない感じをだして伝えるも、疑われる。その後いろんな話をしたけれど、すぐその皮膚に付着した青に話を戻しちゃうおばあさんだ。
美術の勉強をしてるんですーとか、関東から来ましたーとか、おばあさんの職場の23歳が単身で関東にもうすぐ行っちゃうとか、二人で温泉の一段浅いところに座り正面を見つめながら話した。こんなに近くにいるのに、顔を合わせずに会話してる状況が面白かった。加えて、誰も話していない銭湯に、小さな声でも自分たちの会話が響き渡っていて、明らかに全員が話を小耳に挟んでいた。それも居心地が悪くて面白かった。もちろん、私は目の前のおばあさんと過ごす時間が大事だから会話を続けるけれど、この銭湯の中では気まずいのだ、と思えば思うほど楽しくなってきた。
話の切れ目に、「銭湯で湯船に浸かりながら知らない人とお話するのが夢だった」と伝えた。その時にみせたおばあさんの優しい表情が、肉親の孫に見せるそれと似ていて、1秒だけ家族になった気がした。気持ち悪い意見だけど、そういう、数秒だけの家族というものが私は必要だ。利害関係のない、なんも波風のたたない家族。都合良すぎるけど、そういう一瞬のブーストがかかる関係には、ざらりと心にヤスリをかける作用がある。だからいろんな知らない人と話すことが好きなんだろう。
そんなことを若干思いながら感慨深くなっていると、彼女は熱い熱いつって、水風呂に入ると思いきやまた身体を洗いに行ってしまわれた。しばらく待ってみたが、なぜだかしっかりもう一度身体を洗い始める。あの人は温泉よりも身体を洗うことが好きみたいだ。長いこと身体をあらうため、おばあさんにジャッと告げて脱衣所に向かう。おばあさんは少し驚き、あーらもう行っちゃうの的な「あら」と言った。私はお得意の焦りが混ざったわしゃわしゃとした態度で扉を開ける。「なんでそんな慌ててるの?」と聞かれことがあるが、好意的な時間(感謝、喜び、春、新学期、純粋な好意、相手に委ねる姿勢などの柔らかで抽象的なもの)に包まれるのが苦手なのだ。また謎の焦りを抱える態度で帰っちゃったなーという自己批評の充満した身体の、自己批評的な足の裏が、脱衣所の床を感じる。畳みたいな、ゴッホの自画像の後ろみたいな床。コレは濡れているようで、いつでも乾いていてすごいなと、おばあさんを後にして、すぐ思った。












ともあれ、皮膚に付着した青についての話、楽しかったね。ジャッ

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