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ニューヨークにだって時代性と社会性は備わっている。M-1 2019で感じたあれこれ。

以上のご指摘はごもっともである。そして、それに対してニューヨークの漫才の「時代に取り残った感」はものすごく浮き彫りになってしまった。(見取り図、インディアンスも。インディアンスに関してはついこの間まで「妊婦の腹を蹴る」というボケを平気でしていたくらいだ。)

しかし、ニューヨークにも良さはある

ニューヨークの有名なコントに「ハマー」というネタがある。ハマーに乗るチャラい若者(嶋佐)と、それに職質した警察官(屋敷)という構図の作品だ。屋敷演じる警察官は、嶋佐が演じる若者に「お前みたいな若い奴がこんな車に乗れるわけがない」「お前、絶対に振り込め詐欺やっているだろう」と問い詰める。しかし、実はその若者は「音楽プロデューサー」であり、警察官の偏見がどんどん露呈していくというものだ。

これも「分断を可視化している」という意味で「コメディで橋をかけようとしている」と言うのは言い過ぎだろうか。

確かに、ニューヨークのyoutubeチャンネルはそのサムネイルに並ぶ言葉からしてホモソーシャルの悪いところが出ている。

でも、「ハマー」のほかにもいいネタがある。金持ち風の男(嶋佐)が、彼女の実家に結婚の挨拶に行くコント。彼女の父親(屋敷)は、娘の彼氏がどのような職業の男なのか探ろうとするものだ。ここからは「ハマー」と構造は同じで、男は実は起業家であり、その斬新なアイデアで父親自身に「偏屈な田舎者」であるという自覚を目覚めさせてしまう、その様をおかしみを含めてみせるというものだ。

今年は、ラランドやヒコロヒーと南川など、お笑い界の女性への立場に真っ正面から向き合った芸人が多かった。

誰か女性の審査員がどこかで、「女の人は早いスピードでボケを繰り出せないからM-1では不利」という審査をしていた。(覚えている人いたら教えてください)

もう今年で「ボケの数が多ければいい」(インディアンス)という法則は正しく葬られたので、これからゆっくりと変わっていけばいいなと思いました。

いやあ、今年は本当に面白かった。

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