見出し画像

ドイツ語会話を習ったら思わぬ副産物。

ドイツ語会話を習い始めて、2回目の雪の季節です。
子どもが通ってる英会話の塾の方が、一生懸命に講師を探してくださって、とってもいい先生に巡り会えました。

一生懸命に教えてくれるのが、こんなにありがたくて嬉しくて、頑張ろうっていう気持ちになることを、自分は普段先生なのに、知らなかったな。
授業の内容を考えてきてくれて、私の少ない語彙で話すドイツ語を理解しようとしてくれて、褒めるところを見つけて褒めてくれる。
Danke schön. としか、感謝を伝えられない、私の語彙力・・・


ドイツ語会話を習って、ドイツ語会話が上達するのは、目的の通りです。

ですが、びっくりしたのは、「分からない」と言えるようになった、私のこと。
ドイツ語会話を習って得た、大きな大きな、副産物です。


そのきっかけは、超・現実的な、お金の問題。
「分かるようなそぶりを続けていたら、この時間にかけたお金はどうなる⁉︎」という。

それで、分からないところは、曖昧に相槌を打たずに、聞き返したり、質問したりする!と、いつだったか、意識的に方向転換しました。

この時間を新しい収穫のある時間にしたいと思って、分からないところを聞き返すようにしたことは、ドイツ語会話のレッスン以外のところでも、効果を発揮していると思います。
例えば、大学の授業やゼミで。

「分からないこと」を思い切って表明して、相手と一緒に会話をつくっていくのが、意外にも楽しいことを知りました。
私の「分からないこと」を受け止めて返してくれる相手が、ほんとにありがたいです・・・


もう1つ副産物が。

それは、ドイツ人の物の考え方を体験できること。

「ドイツ人は、『〜は〜です。』とかの文を話したら、たいてい、『なぜなら』などと、自分にとっての価値や事情などの理由を付け加えるよ」と。


目から鱗👀です。
私は、「〜は〜です。(以上☺︎)」てなってしまって、なぜ先生がもう少し話して、というのか分からなかったから。

それに、図らずも、私が音楽のフィールドの中で研究テーマとしていることを実践しているかのような、その考え方。


そればかりが良いとは言えない、とは思います。自分が考えていることを言葉にして伝えるのが当たり前、というそのスタンスが。
でも、そういうスタンスの国から学んだ音楽を基準にして学習の軸をつくってきた歴史をもつ日本で、そのスタンスが抜け落ちていたら、矛盾が生じるのも頷けます。

文化が違うのだな、と思うと同時に、自分の考えを言葉にすることって、やっぱり大切じゃないかなとも思います。
自分のこと、相手のこと、言葉にすることでよく分かる、てあると思うので。
ついでにそれは、訓練が必要ですね。
絶賛訓練中☺︎♪


・・・という、ドイツ語会話を習って得た私の大切な副産物でした。
大学院修学中の、覚書として。


写真は、ドイツ・コトブスの、塔の中からみた空。
塔って日本ではあまり馴染みがないので、塔に登って興奮しました。修復されながら、ずっとここにあったのね・・・鐘の存在感が半端なかったです。
そして狭かった。それに階段が急だった・・・

読んでくださって、ありがとうございました☺︎


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?