『きみの色』に見る、現代の青春とは
ご無沙汰しております。アラカルトです。
さて、連日「きみの色」関連の記事ばかりでそろそろネタも尽き、みなさんの愛想も尽きる頃かとは思いますが、それでもずっと映画を観てから余韻に浸りっぱなしでございます。
そういう同士もおられるのではないでしょうか。
さて、今回扱うテーマはタイトルの通り青春、特に恋愛を主なテーマとします。
ガッツリネタバレなので、未視聴の方はここでブラウザバックをよろしくお願いします。
受精メタファー
キミがルイに惚れたと思われるシーンでの一幕
一体何を食ったらこんな演出が思いつくんだwww
単純にエロティックな演出でもあるし、この映画ではあまり感じさせない
ヘテロ恋愛性を感じせる一幕でもあります。
キミの色(タイトル回収キター!)をルイの森のような緑色が包み込み、たがいに混ざり合い分裂していく。これもう受精だしセック…おや?誰か来たようだ
三角関係
とつ子は同性愛者?
そもそもこの映画、ルイがいきなりしゃしゃりででくるまでは、百合百合していたのである
若干とつ子自身にそういう属性、もっと言うなら同性愛の志向が若干あるようにも感じれられた
だがとつ子自身がそれを自覚していたのかもわからないし、とつ子がキミに対して恋愛感情を抱いていたのかもあやふやである。それを思わせるシーンが
クリスマス、とつ子とキミがルイにプレゼントを選ぼうとするシーン
その時とつ子はいままでに
観たことのない、感じたことがない感情を発しているのを感じ取った
ということはである、とつ子はキミに対して明確な恋愛感情を抱いていたのかは怪しいところとなる
だが実際、こういうシーンがあるからと言って、一概には言えないのも事実
あまり多くを語らない映画であり、ここは多くの考え方、含みを持たせたかったのかと推察する。
キミがバンド結成に乗った理由
そもそも、キミとルイは親交こそなかったものの、ルイ自身キミのバイト先の書店に足繁く通っており、キミ自身常連のようなものとして認知はしていたと推察される。
また、とつ子視点ではキミは青、ルイは緑という色の属性をしており、色相環を見てもわかる通り、近しい属性なのである。だからこそ、惹かれるものもあったのではと考察する
となるとである、恋愛感情とまではいかずとも、ある程度他の客や生徒とは違う意識を持っていた(もちろんプラス)のかもしれない
そう言う意識を持っていたからこそ、バンド結成をしたのかもしれない。
とつ子は負けヒロイン?
先ほど、色の話を出したが、キミの色、ルイの色、とつ子の色を踏まえて
色相環図をもう一度見てほしい。
さぁ、何か見えてこないだろうか。
そう、とつ子の色は、ルイとキミの色に対応する補色なのである
(補色とは? 補色同士の色の組み合わせは、互いの色を引き立て合う相乗効果があり、これは「補色調和」といわれる wikipediaより引用)
引用の通り、互いに引き立て合う存在なのである
そしてキミ、ルイ、双方の補色なので橋渡しとなる存在でもある。
この橋渡し、なにか見覚えがないだろうか
そう、とつ子キミとルイにバンド結成を持ちかけるシーンである
というように、負けヒロインというよりは、天のエンジェル的な役回りなのである。
山田尚子の描く現代の青春像
さて、ここまで色々言ってきたが…
尚子が描きたかった恋愛像、青春像とは一体なんなのか
それは現代の青春や恋愛の複雑さや、昔と今と変わったものや変わらないもの
そういったものを今回の映画の副題としているのではなかろうか
これだけだと少し抽象的すぎるので、具体化すると
同性愛というものが普遍的に
ガツガツする系の男性が減り
性別をあまり気にしない男性の増加少女漫画的な展開は(昔もそうないが)
風化し、新しい恋愛スタイルの形成
などなどである。
作中でも、ルイは性別関係なく人に接し、またトツコには同性愛の傾向がある。
など現在の恋愛は自由だが複雑、そういうものなのである。
また、作中でヘテロ恋愛性、つまり高校生なのに性欲を感じさせる描写がなかったことなど
山田尚子自身の作風、看板もあるとは思うが
現在ではキスはあれどもセックスはない。そういう恋愛、お付き合いの形が増えてきているのではなかろうか。
また、一種の少女漫画的な、青春も古いものとなり
同性同士の恋愛や、男女の差がどんどんなくなっていくこの時代
山田尚子はこの作品を通して、そういった時代の変化、そしてその中を生きる私達にエールを送る、そんな気持ちもあったのかもしれない
まとめ
とまぁここまで
彼女いない歴=年齢のクソ童貞がしたこともない恋愛について、専門家ぶって偉そうに語ったわけだが、お楽しみいただけただろうか。
ここまで、私のきっしょい妄想と考察にお付き合いいただきありがとうございました。
いいねやコメントでの罵詈雑言お待ちしております。
では👋