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映画『ミットナイトスワン』

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いつも映画を見た後はすぐにインスタに投稿する。
しかし今回はそれが出来なかった。
観た人のレポにしばらく余韻で立ち上がれない人が居たというのを読んでいたのだけれどまさにその状態で他の観客の為に立ち上がったものの足元がふわふわしていたのは事実。
市松模様の観客の中、通路までは一人の観客が居たのだけれど彼女はなかなか立ち上がろうとしなかった。何をしていたわけではないのだけれど。

まずはバレエの話から、
バレエのシーンが素晴らしい。あちこちのレポにある通り。
それは衣装を着けて踊るシーンだけではなくて古びたレッスン室で踊るシーンでも同じ。むしろ何も無いレッスンのシーンの方が印象に残っている。

私はバレエとは浅からぬ縁を持っていて習ったことはないのに子供時代に諸々の思い出がある。
そして自分の娘が踊りに惹かれて十年近くレッスンに通い、思春期からは離れたものの大人になり自立した今彼女はまたレッスンに通っている。
そんな自分の娘の姿が被りながら、だからこそ一果役の彼女の踊りの素晴らしさが伝わってきた。
コンクールにも入賞した彼女は技術も確かなのだろう、けれど彼女よりも上のダンサーはそこそこ居るはずだ。
しかし彼女の何が素晴らしいかというと伝わってくるのだ。彼女の悲哀や希望がバレエの演目としてではなく彼女自身の気持ちが伝わってくる。
バレエが好きだから子供の頃からいくつもプロや素人の舞台を観てきたけれどこんなに感動することはなかった。
私は彼女の踊りのシーンを観て何度も静かに涙を流した。
自分でも何を思って、感じてるのか定かでないのにただ涙がこぼれるのだ。
こんな思いをしたのは初めてだった。セリフよりもストレートに伝わるものがあった。

草彅剛の演技はすでに評判を聞いていたし、過去にいくつも見ているから期待も十分にあった。
そしてその期待通り、過不足無かった。
ストーリーはざっくりとしか知らなかったので知らなかったと言えば知らなかったのだけれど予想の範疇ではあったのでその点は不満もなく、過度の感動も無かった。
そう、終わったときの衝撃は何だったんだろう?
別にラストに衝撃を受けたわけでもなくものすごく悲しかったわけでもない。一果の将来は希望に満ちていたのだから。とてもいい終わり方だと思った。
未だに私は何に衝撃を受けて泣いていたのか、ぼーっとしていたのか分からないのだ。

そしていつもすぐに二回目を見に行こう!と思うのに今回はまだそれを思えない。
もうちょっと何かを整理したい。それが何かわからないのに。

題材のLGBTが中々波紋を呼んでいるらしいけれど、そもそもそこはそれほど大事とは見ていて思わなかった。凪沙はたまたまそういう立場だった。私はそう思って見ていた。
もしもそこを踏まえての大前提のストーリーならばそれこそ特別視しているのではないか。
男でも女でも思うようにならないことはたくさんある。恋も人生も。家族と上手くやれない人も、不幸な人も幸せな人も、私は性別は関係ないと思うし、この時代そんなことを分けることすらナンセンス。
男同士だろうと女同士だろうと好きになるのは素敵なことじゃないか。心が死んでるより余程素晴らしい。けれどそれが上手くいくとは限らない。
人の心や人間関係はお金が有ろうと無かろうと、男でも女でも大人でも子供でも、悩みや苦しみは尽きないのだから。

だから私は人間として凪沙や一果を見ていたし、応援した。生きることは苦しい。
この時期にSMAPファンには近しい竹内さんが不幸な亡くなり方をして想いは尽きない。
生きていくことは苦しい、辛い、でも明日はやってくると信じてるから生きている。
ひとつ言うなら、凪沙も一果も不器用だね。
不器用な人には生き辛い世の中なのは間違いない。
多分私は不器用な人ばかりが登場する流れに胸を突かれたのだと思う。
悲しいとか哀れとか悔しいとか具体的な感情ではなくてただ静かに、すべてに胸を突かれて泣いていたのだ。

帰りの車でプレイリストからAimerの『春はゆく』が流れてきて、歌詞が凪沙と一果に重なりまた涙した。

end

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