フィアナ伝説:フィアナ物語(Fiansruth)

序文

コンの孫であるコーマックがアイルランドの王となってルガド・マックコンが追放され黒い歯のフェルグスが死んだ後、コーマックの覇権は拡大して、アイルランドは彼の軍隊で満ち溢れた。そこには、一族の指導者で、追放者や傭兵たちの長、そして同時にコーマックと一緒にいるすべての部隊の長たるフィン・マックールもいた。これらの人々は、フィアナ・フィン、つまりフィアナ騎士団の指導者と呼ばれ、フィンのそばに控えていた。一人につき九人の負担と、奉仕の規則はクーフーリンと同様であった。
そしてその後、フィンは生きている限り王の下で長となり、オシーンは彼の後を継いだ。なぜならタラの王の軍隊は彼らと比べてどこも勝っていなかったのだから。
そしてフィアナは、クリ・クレンCuile Cuilleannの戦い、クリウCliuの戦い、コマー・トリ・ヌシュComar-tri-nusciの戦い、マグ・イニスMag Inisの戦い、スリーヴ・ミシュSliab Misの戦い、スリーヴ・ルアハーSliab Luachraの戦い、フェミンの妖精の塚Sid Feiminの戦い、フェアFeaの戦い、クリナCrinnaの戦い、ダー・ボルグの妖精の塚Sid-dá-bolgの戦いに挑んだのだった。
その後、彼らはイニシュ・デルグロッハInis-derglochaの戦い、すなわちフィン・オ・バスクナフィン・マックールによる妖精バズブの子ルアリーRuadhraidh等に対する戦いに従事した。
フィアナがどの王と戦争したとしても、その王は彼らに敗れたのである。

Stern, Ludwig Christian. “Fiannshruth.” Zeitschrift für celtische Philologie 1 (1897): 471–3.

この序文の後にフィアナ騎士団の名簿(AとBの二つのリストがある)が続くのですが、今なお名簿は出版されていません。ちなみに、オシーンの息子オスカーや、詩人フェルグス・フィンベルの名前は登場せず、ゴルの名前が片方のリストにしか記載されていないことや、物語に登場しない人物名が豊富に記載されていることで知られています。


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