モンガーン伝説:モンガーンがフィン・マックールだったこと及びフォサド・アルグデフの死の物語

本文

モンガーンはモイリニーのラースモアの玉座に座っていた。
彼に詩人フォルガルが会いに行った。
彼を介して多くの夫婦がモンガーンに訴え出た。
毎夜、その詩人はモンガーンに物語をそらんじたのだろう。
サウィン祭から五月祭までの彼の朗読はそれほどすごかったのだ。
彼は宝物や食べ物をモンガーンから受け取った。
ある日、モンガーンはかの詩人にフォサド・アルグデフの死について尋ねた。
フォルガルは、彼が死んだのはレンスターのドゥブサルだと言った。
しかしモンガーンはそれは誤りだと言った。
その詩人は風刺で彼と彼の父と母そして祖父をあてこすったうえに河口で魚を獲ることができなくってしまうように海に呪文をかけてしまうぞと言った。
果実を実らせなくなるように木々、あるいはなんの収穫も得られないほど不毛になるように平原に呪文をかけるぞと。
モンガーンは七人の女奴隷、いや十四人、いやいや、二十一人の女奴隷に匹敵するような貴重なものを譲ろうと彼に約束した。
とうとう彼は三分の一、そして半分、ついに全ての土地を彼に譲った。
そして三日間が過ぎてしまうまでに清算できなかった場合に彼自身と彼の妃ブリオスィゲルンの自由を除いたあらゆるものについても。
しかし詩人はその女性だけを望み、モンガーンは名誉のために同意した。
そこで彼女は悲しみ、頬を伝う涙は絶えることがなかった。
モンガーンは彼女に悲しまないように助けが必ず来るからと話しかけた。
そして三日目がやってきた。詩人は約束を履行し始めようとしたのだが、モンガーンは日暮れまで待つように言った。
彼と妃は寝室にいた。彼女は刻限が近づきつつあるのに助けが来ていないので涙を流した。
モンガーンは言った。
「悲しむな、妻よ。彼こそわたしたちを助けるべく今にやってくる者だ。彼の足音がラブリネの地で聞こえる。」
彼らはしばらく待っていた。彼女はまた泣いた。
「泣くな、妻よ。彼こそわたしたちを助けに来る者だ。彼の足音がメーンの地で聞こえる。」
このように彼らはその日の二度の警邏の時間ごとに待ち続けた。彼女が泣こうものなら彼はそれでも語りかけた。
「泣くな、妻よ。彼こそわたしたちを今に助けに来る者だ。
私は彼の足音を聞いている。
ラウネで、ロッホ・レアネで、イー・フィジェンティとアラダの間の明けの明星の川で、マンスターのマグ・フェミンのシュア川で、エフルで、バロウで、リフィーで、ボイン川で、ディー川で、トゥアルセシュで、カーリングフォードの湖で、ニドで、ネウリー川で、ラースモアの前のレーム川で。」
日が沈んだ時、モンガーンは宮殿の寝椅子におり、彼の妻は彼の右側にいて悲しんでいた。
その詩人は契約に基づいて彼らを呼び出した。
彼らがそこにいる時に一人の男が南から敷地に近づいていることが知らされた。
彼は襞のうねる外套を着ており、決して小さからぬ穂先のない槍の柄を手にしていた。
彼は柄を使って三重の城壁を跳び越すと、敷地の中ほどに着地して、それから宮殿の中央にやってきて、モンガーンと彼の枕がもたれている壁の間に来たのだった。
その詩人は王の背後の屋敷の後部に控えていた。
そのやって来た戦士を前にして屋敷内では議論が起こった。
「ここにどのような問題があるのですか」
と彼は言った。
「私とそこの詩人は、」
とモンガーンは切り出した。
「フォサド・アルグデフの死について賭け事のようなことをしているのだ。
彼はレンスターのドゥブサルだったと言っているが私はそれが間違いだと言った。」
その戦士は詩人が誤っていると言った。
「それは証明できます。我らはあなたさま、フィンと一緒にいたのです。」と戦士は言った。
しーっ、それは彼には良からぬことなのだよ。」
とモンガーンは言った。
「我らはフィンと一緒にいて、それから」
と彼はつづけた。
「スコットランドから渡ってきました。
我らは向こうのレーム川でフォサド・アルグデフと相まみえました。
そこで我らは戦ったのです。
私が奴めがけて槍を投げると貫通して地に突き立ち、鉄の穂先が地中に残りました。そして槍の柄はここに。
あの剥き出しの岩が見えるでしょう、あそこから私は投擲したのです。
そして地中には鉄の穂先が埋まっているでしょうし、その東にはフォサド・アルグデフの墓がわずかに見えます。
そして地面の下には彼を葬った石棺があります。
そこの石棺の上には彼の二つの銀のブレスレットと二つの腕輪、彼の首にかける銀のトルクがあります。
そして彼の墓石として石柱が立っています。
地面に埋まっている石柱の端にはオガム文字が刻まれています。
そこにはこのように書かれております。
「我こそエオハド・アルグデフ。
フィンに対する戦いの中でカイールテが私を殺した。」
彼らはその戦士と一緒に同行した。
全てはその通りだと確かめられた。
彼らのもとにやって来たのはフィンの養い子、カイールテだった。
彼はそうだと語りはしなかったが、モンガーンはフィンだったのだ。

解説

この物語は既に歴史が残されている時代、7世紀のアイルランドを下地にしています。
そのため、フィンたちが活躍した2~3世紀頃を想定した時代の物語からおよそ400年以上も経過しています。
フィアナ騎士団の生き残り、カイールテはその間ずっと生き続けてきました。

【ガヴラの戦い】の後、さらなる戦いにフィアナ騎士団が挑んだことはあまり知られていません。
この物語はそのオラーバ<Ollarbha>で行われた戦いについて、戦いに参加したカイールテが証言をすることにより解決します。

まずはこの戦いの経緯について説明したいと思います。
ガヴラの戦いで上王カルブレが討ち死にしたことにより、新たな上王が即位します。
新たな上王はかなり異例なことに、フォサド・カルプセハとフォサド・アルグデフという兄弟が共同で統治をしました。
しかし一年も経つと兄弟間で諍いが起こり、フォサド・カルプセハを殺したフォサド・アルグデフが単独で統治するようになります。
その後まもなくしてガヴラの戦いで死んだカルブレの息子であるフィアハ・スローブティネがフォサド・アルグデフに戦いを挑みました。
この物語によれば、フィンたちは(そして言及されていないがフィアハも)スコットランドからアイルランドに侵攻しました。
なぜ、スコットランドが出発点だったのかは特に説明されていないはずです。ジェフリー・キーティングによればフィアハの妻アイフェはガルゴイデルの王女だったとされています。このガルゴイデルはおそらくスコットランドを意味しています。
父の死後、フィアハは妻の出身地であるスコットランドに逃れておりそこで力を蓄えていたのかもしれません。
オラーバは現在の北アイルランド・アントリム州ラーンの河口の昔の名前で、スコットランドから海峡を渡ればすぐの位置にあります。

このオラーバの戦いでは、フィン・マックールとオシァンとカイールテはフォサドを討たんとするフィアハに味方しました。
しかし、どうもフィアナ騎士団としては望んでフォサドを討ったわけではなさそうです。
「古老たちの語らい」では上王ディルムッド・マク・ケルバルとの会話の中で、フォサドがフィアナ騎士団とオシァンをだましたことが語られます。
また別の箇所で聖パトリックがカイールテにフィアナ騎士団がどうして壊滅したのかを尋ねていますが、これについて抜粋して翻訳します。

それからパトリックはカイールテに、フィアナ騎士団を全てを壊滅させたのは何だったのかを尋ねた。

最後に我らは二つの戦いを交えた。ガヴラの戦いとオラーバの戦いだ。
我らは三つの大隊でオラーバの河口で戦い、たったの六百人しか生き残らなかった。
フィンは決して戦争や競争でフィアナ騎士団を疑うことはそれまでになかったのだが、この時、彼はこれらの戦いで命を落とした指導者、戦士、勇士、先達の被害を報告させた。
カイールテは語った。

”我らがどれほどの数だったのか数えよ、知ることを恐れるな
しかし我らの数えたところ、武運のあらんことを、戦いにおいてこちらは彼らに数で劣った。
フォサドが私を攻めるのは不法だった
あの偉大な日に、彼が和平を結んだ時に、
ルガド・マック・コンの意志に背いてフォサドは私に敵対しに来た。
それを為さねばならかったのだとしても、私は戦いに行くことに気が進まなかった、ダール・ナラディのドゥブサルに赴く私の一歩一歩が輝かしかった。
いずれも私に劣らぬ960人はアルド・アルバでラーナヴナの息子ドンガスに殺された。
フィアナ騎士団は北から南へ西へと300の戦いを交えたがこれまでこれほど悲しみに満ちた戦いはなかった。
我らのもとへ来た人々、もしも彼らがその野に今日居たのなら二つの糸は保たれていなかった、輝けていた者はフォサドではない。”

そなたに祝福のあらんことを、カイールテよ。
そなたはその詩でとても良いことを語ったのだ。
ブロカーンよ、書き留めておきなさいとパトリックは言いつけ、彼はそうした。

ともかくフォサドが裏切る形で、不本意ながらも戦わざるをえなかったのは間違いないようです。
ルガド・マック・コンという人物はフォサドの父親で、フィン・マックールと良好な関係を築いていた王です。
フォサドとフィンの間に軋轢が生じていたのは、初期のフィアナ伝説で語られることでありますが、マックコンの仲立ちにより和平を結んだのでしょう。
しかしこれを後にフォサドは破ってしまい、フィアナ騎士団を攻撃しました。
そしてガヴラの戦いによって既に多くの戦力を失っていたことともあり、フィンは自軍の損害と兵力を報告させています。
しかし多数の損害を出していたことで士気が低下していたのかもしれません。知ることを恐れるな、という発言が詩の中にありますが、命令しているのはフィンなので彼の発言でしょう。
フィンは部下たちの不安を見抜いていたということなのでしょうか。
そして騎士団は滅びを迎えますが最後にカイールテがフォサドを討ち取ります。

それから時は流れ、当時の記憶も風化して伝説となった数百年後・・・モンガーン王子が詩人に「フォサドの死」について尋ねるのでした。

ところで、なぜ詩人フォルガルは間違った伝承を伝えたのでしょうか。
実は、ドゥブサルという場所は複数存在しました。
レンスターのドゥブサルは王妃が迷い込んでしまったところいつの間にかアルスターのアーン湖のデヴィニシュ島にいた、という伝説があります。そのうえ、デヴィニシュ島もドゥブサルという地名で呼ばれていました。
「古老たちの語らい」のドゥブサルはアルスターのアーン湖のことでしょう(古代のダール・ナラディはバン川以西まで勢力を伸ばしていました)
このような二つのドゥブサルの伝説的な混同が詩人フォルガルの間違いを生んだのかもしれません。

ちなみに詩人フォルガルは【モンガーンが子孫を奪われた理由】という物語に登場する詩人の王エフと同一人物だとも言われています。

出典

Cross, Tom Peete & Slover, Clark Harris (1936), Ancient Irish Tales
Harmon, Maurice (2009), The Dialogue of the Ancients of Ireland: A New Translation of Acallam na Senórach
Keating, Geoffrey (1898), Comyn, David (ed.), Díonḃrollaċ fórais feasa ar Éirinn
Gwynn, Edward (ed.), "The Metrical Dindshenchas", Royal Irish Academy Todd Lecture Series, Hodges, Figgis, & Co., Dublin ; Williams and Norgate, London



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?