遠雷


もうすぐ夏だというには寒い夜になった。
小雨が降ってきそうな独特の寒さに身を凍らせる。明日は、大雨になるだろう。
唐突にインターホンが鳴った。こんな夜中に誰だ。
そういえば、今日は家に真由がいないことをぼんやりと思い出す。
それだけで、インターホンの主がほのかさんであることは明白だった。
真由が家にいない日に、ほのかさんはなに食わぬ顔で、俺の家のインターホンを押す。

「こんばんは」

玄関のドアを開けると、明朗な微笑みを浮かべたほのかさんがいた。
ふわふわと宙ぶらりんな微笑み。
男は、宙ぶらりんな女が好きだ。ほのかさんを見てると、そう強く感じる。彼女は全てわかっているから、なにもわかってないように微笑んで小首を傾げるのだ。その姿はどうしようもなく完璧で大きな拍手を送りたくなる。

「真由ちゃんはいないよね?」
「第一声がそれですか」

ほのかさんはピンク色の華奢な靴を揃えて玄関に並べると、俺の許可も取らずに上がり込んできた。丁寧なのか、不遜なのか。それは、対して重要なことではない。

ひらりと、無防備に白いスカートが揺れる。
この人は少女趣味のような服をよく着るけれど、本人はさほど可愛らしいものが好きという訳ではないらしい。
以前、その理由を聞くと、真由ちゃんが好きだからだと、簡単に言っていた。
真由がそんな服を着た所なんて、俺ですらみたことない。
けれどそれを着た真由は、脳内のイメージですら、ちぐはぐなマネキン人形のようだった。なるほど、代わりに叶えてあげてるのか。そんなの無理に決まってるのに。ほのかさんは相変わらずとんちんかんだ。
こんなの、実はね、あまり好きじゃないの。
そういった微笑んだほのかさんの横顔。庇護欲誘う少女性と、男を惹きよせる魔性。

「真由ちゃんがいたらお互い大変だね」
「そりゃあ、まあ」

ほのかさんはおれの左目をみつめ、小首を傾げて朗らかに笑っている。
おれにはほのかさんがなにを考えているかなんて想像できないし、考えるだけ無駄なことだ。この人はおれが理解できる範囲を悠々と超えている。
ただ、おれですらこの関係性が恐ろしいほど歪んでいることだけは知っていた。

わかっていてまたおれは彼女を家に上げる。
ほのかさんは、微笑む。

おれはひどく無様で、哀れだ。

「夏生くんも好きだよ」
「どの口が」

ほのかさんの白昼夢じみた笑顔。俺は自分の部屋の扉を開けて、ほのかさんを入れた。
ほのかさんは相変わらず決まりきった微笑みを張り付けて目を細めた。

「嘘じゃないのになあ」
「嘘でしょ」
「夏生くんが真由ちゃんの弟である限り、私は夏生くんのことが好きだよ」

ほのかさんの指がら、ゆっくりと俺の首に沿う。まるで流れている血を確認するかのように、血管をなぞった。ふふ、顔、赤くなった。ほのかさんの無邪気な笑い声に、頭がぐらぐらする。
これからやること、この前したこと、ほのかさんが考えていること、俺が考えていること。
どれも馬鹿げていて、非生産的で、軽薄だ。

(それでも俺は、また。)


#創作 #小説 #踏切でワルツを

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?