「憧れ不在」の時代
よく晴れた4月のある日、友人と浅草の喫茶店でクリームソーダをすすりながら、「今は、"憧れ不在の時代"なのかもしれないね」という話をしていた。
「憧れ不在の時代」。ふとした会話の中に出てきたその言葉が、自分の中に、なんだかすーっと入ってきた。
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「あかしさんには、"こんな人になりたい"といったロールモデルはいるんですか」「憧れの人とかいるんですか」といったことを聞かれる機会が最近増えた。それはOB訪問やイベント、知人との会話の中で。
けれど、そういう時には決まって返答に困ってしまう自分がいる。「この人みたいになりたい」「この人が憧れだ」という感覚が自分の中にはまったくないから、である。「すごいなあ」「好きだなあ」と思う感覚はあったとしても、「この人みたいになりたい」「この人のように生きたい」という感覚は、生まれてこのかた味わったことがない。
そして、この「誰にも憧れない」という感覚は、わりと今の若い人たちが共通して持っている感覚なんじゃないかな、と、同世代の人たちと話していて──あるいは同世代の人たちの発信する内容を見ていて、ふと思った。
きっとなんとなく漠然と、今は、誰かに「憧れる」時代ではないのかもしれない、と感じている。「こんな人になりたい」と誰かの人生に対して憧れを抱くよりも、それぞれが「自分だけの物語」を大切にして生きたいと願っている。自分の人生は唯一無二のものであるという感覚を、ものすごく大切にしている人が多いんじゃないかなあ(違うかもしれない)。
「憧れ不在」の時代。「誰かのように生きる」ではなく、「自分ならではの物語を紡いでいく」。そうやって生きている人は、純粋にかっこいいな、素敵だな、その人の人生をもっと知りたいな、と思うのです。そしてそういう人が周りにたくさんいることが、何よりも自分の刺激になるのです。
私自身も、憧れの人を聞かれた時には、堂々と「いないです」と言えるような人でありたいなと思う、木曜日の夜なのでした。酔っている。
ありがとうございます。ちょっと疲れた日にちょっといいビールを買おうと思います。