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「ウサギとカメ」の解釈から思うこと

「ゴールデンウィークは、母の実家である山形に行く」という暗黙のルールが明石家にはある。

母も姉も妹も(父は自由人なのでルール適応外)、どんなに私生活や仕事が忙しくてもゴールデンウィークの2日あるいは3日間は家族のために時間を作り、みんなで揃って祖父母に顔を見せに行く。

このルールは、私が生きている25年間、いまだかつて1度も破られたことがない。3姉妹が社会人になり実家を出て、家族の住む場所は京都・大阪・東京とバラバラになってしまったけれど、こうやって毎年必ず集まれる時間や場所が確保されていること、そしてそのルールを自然とみんなが当たり前のように守ることは本当に素敵なことだな、と思う。

そのような「家族の幸せ」を毎年噛みしめるのが、私にとってのゴールデンウィークである(ここに父が含まれていないことは見過ごしてほしい)。

今年も、例に漏れず山形に来ている。この季節の山形はハナミズキがとても綺麗に咲いているのだけれど、「おじいちゃん、この花なんやっけ。桜?」「ハナミズキって言うんさー」という会話を毎年のように繰り返している私は本当に学習意欲がないなあ、と思う。山形美術館でジョルジュ・ルオー展を観にいき、たらふく美味しいご飯を食べ、家族の近況報告に花を咲かせた。

すると、「ウサギとカメの話を知ってるか?」と祖父が急に言い出した。もちろん知ってるよ、と答える私。祖父は無類の本好きで、年間300冊以上は本を読むし、自分で俳句を書きもする(詳しくはこちらのnote)ので、祖父がこういう話を始めると、自然と私は「どんな知識を教えてくれるんだろう」とワクワクする。

「ゆかちゃんの思う、ウサギとカメの解釈を言ってごらん」と問いを出された。えーっと。足の速いウサギと足の遅いカメがいて、競争を始める。もちろんウサギが勝っていたけれど、余裕だと思ってサボって昼寝をしたら、その間に遅い足で休まず努力したカメがウサギを追い越し、最終的にカメが勝った話でしょう。つまり、能力が低くても、愚直に努力をすることで能力が高い人をも超えることができる……ということを表す物語じゃないの、と、私は答えた。

すると祖父が、「それも正解なんだけど」と、ウサギとカメの寓話の「もう一つの解釈」を教えてくれた。

この寓話は、「ウサギとカメが"どこを見て"走っているのか」がポイントなんだよ、と祖父は言った。

ウサギは競争相手であるカメばかりに気を取られ、「ゴール」を全然見ていない。ゴールを見て、そこに辿りつくために走っているならば、ウサギは休まずにゴールを目指して努力するはず。けれどウサギが見ているのは自分の競争相手であるカメなので、そのカメが走るのが遅いから、つい「まだ大丈夫だ」と思ってサボってしまうのである、と。

一方カメは、「ゴール」を見て走っている。ウサギが速いからといって焦るわけでもなく、ウサギが寝たからといって自分のペースを変えるわけでもなく、自分がゴールをするために、努力をして走ってる。だから止まらないんだ、と。

ウサギは他人を基準に生きていて、カメは自分の目標を基準に生きている。その「生き方の違い」がこの寓話の解釈の本質だと思っているのだ、と祖父は言った。

ウサギの生き方になっちゃダメだよ、と祖父は続けた。誰かがゆっくり走っているから余裕だと思ってサボったり、また、誰かが速いからと言って自分が焦ってしまったり、そうやって、「他人を見て」走って生きるのはダメだよ、と。

カメのように、ゴールを見据え、ゆっくりでもいいから周りのことは気にせずに、マイペースで頑張ったらいいんだから。そうやって努力していると、きっと誰かが見てるんだから、少なくともおじいちゃんは見てるから、と言う祖父の言葉に、思わず涙腺が緩んだ。

こう言ってくれる家族がいることが、何よりも私の誇りであり、マイペースに生きていこうと思える理由なんだといつも思う。カメのようにノロくても、ちゃんと自分なりの歩みを大切に、これからも頑張りたいなあとあらためて思う2018年のゴールデンウィークなのでした。

ありがとうございます。ちょっと疲れた日にちょっといいビールを買おうと思います。