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それで大丈夫だから、進め。 #社会人1年目の私へ

今もこうやって、まだ同じ会社で働いていることをあの頃の私が知ったら驚くだろうか。諦めかけていた「編集者になりたい」という道を、まだ道半ばだけれど今こうやって進んでいることをあの頃の私が知ったら、喜んでくれるだろうか。

社会人1年目の4月1日、私は東京のIT企業の入社式に出席していた。

出版社以外だったらそのIT企業に絶対行きたいと思えるほど大好きな企業だったし、最終的な進路を決めたときも、あれだけ自分を納得させたはずなのに、心の中には「悔しい」「こんちくしょう」という気持ちがどこかにあった。私は行きたかった出版社の選考に、すべて落ちたのだ。

社会人生活にも慣れてきた5月のなかばごろ、同じ出版社の最終面接で落ちたメンバー数人で集まり、「もしかしたらここには俺たちが載ってたのかもしれないんだよなあ」と、出版社のホームページ上にアップされた「新入社員白書」みたいなものを恨めしく読みながら不味い酒を飲んだ。そのときの気持ちは、今でもありありと思い出すことができる。

このままで、大丈夫なんだろうか。

私の頭の中には、なぜかいつもこの問いが存在する。具体的に、何がどう大丈夫じゃないのかはわからないのだけれど、いつもどこかしらで不安を抱えている。このままの私で、私は納得した人生を送れるのか? このままの私で、周りのみんなは離れずにそばにいてくれるのか? 私は私の人生を、大事にできているのだろうか。

この頃の私もまた、例に漏れず常に不安を抱えていた。入社したIT企業にはいわゆる「オウンドメディア」があって、Webメディアの編集者というキャリアが残されていたけれど、その部署は新卒では入れない部署だったので、最初の配属先は編集とは違う部署だった。

「いつか、メディアの部署に行けるかもしれない」
「でもその"いつか"って、いつだ?」

淡い期待はいつだって見えない未来に押しつぶされ、なんの気休めにもならなかった。仕事は楽しかったけれど、いつも、どこかでモヤモヤしていたと思う。

そんな私の突破口になったのは、とある出来事だった。

ある日、会社の飲み会で、「あかしさんは、この先何がしたいの?」と先輩に言われたのだ。

あれ、こんなに「メディアに携わりたい」という気持ちが強くあるのに、その気持ちが、なんでこの先輩には伝わってないんだろう。そう考えたときに、私は、自分のやりたいことを誰かに伝えようとはせず、自分の中のモヤモヤだけで終わらせていたことに気づいた。

言わなきゃわからないんだ。他人は自分が思っているほど、自分に興味がないんだ。そういう当たり前のことを、痛感した瞬間だった。

それからは、自分が思ったことや、進みたい道については、積極的に自分の口で言うようになった。「部署を異動したい」「これがやってみたい」。言葉にすると誰かに伝わり、伝わることでチャンスが与えられ、少しずつだけれど、道が拓けていった。

そうやって、やっと「自分なりの一歩」を踏み出しはじめたのが、1年目の終わり頃。2年目には部署をかけもちさせてもらい、3年目には正式に今の部署へ異動、そして4年目には複業でフリーランスの編集者としても活動をはじめた。そして5年目、今の自分がいる。

「ちゃんとやりたいことを口に出す大切さに気づこう」。

社会人1年目の経験から学んだことをギュッと濃縮すれば上記だけれど、私は、あの頃の自分にそう伝えたいとは思わない。

なぜなら、頑固な自分は自分ごと化できないTIPSをいくら教えられたって信じないことをわかっているし、いつだって身をもって失敗してモヤモヤを抱えて不安になりながら進むことでしか学べない、学ばないことをわかっているから。

私には私なりの、いろんな物事に気づいていくペースがあり、私には私なりの、人生で大切にしたいものがその時々である。そしてどれだけモヤモヤして前に進めない時期があったって、いつかきっと乗り越えてくれるであろう自分のことを信じたいのだ。

だから、あの頃の私に出会ったら、自分の船を漕ぐ力を信じてこう言いたい。「それで大丈夫だから、進め」

ありがとうございます。ちょっと疲れた日にちょっといいビールを買おうと思います。