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「きみは、常に不満なんだ」

きみは、常に不満なんだ。僕と正反対の男を見つけても、数年経てば歯向かう。意見もないくせに声をあげたがる。文句を言いたいだけだ。

これは、映画『マリッジ・ストーリー』の中盤にある大げんかのシーンで、チャーリーが、妻であるニコールに向けて言い放つセリフである。

去年の年末、渋谷のアップリンクでこの映画を見た時にこのセリフを聞いて、私は、まるで自分に言われているような気持ちがして、たいそうショックを受けた。そして、「きみは、いつも不満なんだ。」というその言葉とともに、自分の過去のさまざまな恋愛が、頭の中に浮かび上がった。

私は今まで、1年半以上誰かと時間を共にしたことがない。「あかしはほんまに恋愛続かへんよな」と、仲の良い友達と恋バナをするたびに何度も何度も言われてきたけれど、その理由について、ちゃんと考えてみたことはなかった。ヘラヘラと笑い、「恋愛なんてそんなものだろう」、と思っていた。

思えば今までの恋人には、すべて私から別れを告げていた。相手のよくないところや、「なんでこうしてくれないんだろう?」と思う不満を見つけては、「もういいや、別の人がいる」と諦めて、「いつか自分に合う人が見つかるはず」と、そんな淡い期待を抱いては、次の恋人を探していた。もちろん、その人だからこそ味わえた大切な感情はそれぞれにあったけれど、結局は同じことをずっと繰り返していた。

私はいつも満たされず、それは、自分を満たしてくれない相手のせいだと思っていたのだ。


去年、Webメディアの「soar」さんで、自分の持つ悩みと向き合う連載を持たせてもらった。編集者の方と、「どんなテーマで書くか」を話している時にまっさきに思い浮かんだのが、自分の「自己肯定感」に関すること。

この文章を要約すると、私は幼い頃からずっと「誰かの期待に応える」ために生きてきて、自分で自分を認めることができない、だからそれを少しずつ変えていきたい、というような内容だ。

この文章は、仕事における自己肯定感について書いたものだけれど、それはまるっとそのまま恋愛にも言い換えることができるのかもしれない、と、マリッジストーリーを見て思った。私はきっと、自分の自己肯定感の低さを埋めるために相手を使う恋愛をしてきてしまったのかもしれない。

それでは、いけない。自分で自分を満たさなければいけない。そうすることで、きっと本当の意味で相手を大事にできるはず。「ずっと一緒にいたい」と思えるような人に出会えたこともあり、それにようやく気づいたのが、遅いかもしれないけれど、去年の1年間だった。


でも、そういったことに気づくと同時に、「自分で自分を満たそう」という言葉に対して、私は一縷の違和感を覚えていた。そしてその違和感について考えていると、とある先輩編集者の存在を思い出した。

その先輩は、仕事を一緒にしているわけではないけれど、ひょんなことがきっかけで定期的にお茶をするようになった、いわゆる「茶飲みともだち」だ。

直接伝えてもいるけれど、その先輩は、一言で言えば「飢えている」。私から見れば本当にすごい人で、実績もあるし、やっている仕事内容も素敵で、周囲から認められてもいる。なのにその人は飢えていて、現状に飽き足らず、いつも不満そう、なのである。

でも、私はその先輩のことを心からかっこいいと思っている。飢えているその姿勢が、とてもかっこいいなと思う。

そう考えたとき、「満たされていないこと」って、別に悪いことなのではないか? と思ったのだった。そして気づく。その先輩がかっこいいのは、きっと、「満たされていないことに、自分で責任を持っているから」なのだ。

「自分で自分を満たす」とは、言葉では簡単に言えるけれど、そう簡単ではない。やりたいこと、叶えたい夢はどんどんどんどんあふれてくるし、満たせたと思ってもまた新たな欠乏を感じるようになる。それは、人生に問いが尽きないことにもよく似ている。

だから、大事なのは、「自分で自分を満たす」ことではなく、「満たされていないことを認め、そこに対して自己責任を持つ」ことなのではないか、と思うのだ。自分が満たされていないことを、誰かや何かのせいにするのではなく、誰かや何かに埋めてもらおうとするのではなく、「満たされていない」という現状を認め、それを自分自身でどうにかしていこうと思うこと。

私はきっとこれからも、満たされることはないのかもしれない。「きみは、常に不満なんだ」という言葉の通り、私はいつも不満なのかもしれない。けれどその言葉に傷つくような自分ではなく、胸を張って「そうなの、だから頑張っているの」と言えるような自分になりたいな、と思う。


ありがとうございます。ちょっと疲れた日にちょっといいビールを買おうと思います。