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2018年1月の記事一覧
「フカンショウ」にはなりたくない、という話。
「フカンショウ」にはなりたくない、と、いつも思いながら生きている。
自分の心の琴線が動かない、動かせないような「不感症」もいやだし、なにごとも自分ごと化できず、客観的に、冷静に見すぎてしまう「俯瞰症」もいやだし、興味があるもの、人、そして自分の気持ちに対して「不干渉」になってしまうこともいやだ。
不感症、俯瞰症、不干渉。
これら3つの「フカンショウ」でいないということは、なんとなく、自分の生
「選ばなかったもの」に想いを馳せる
「選ぶ」ことは、いつだって難しいな、と思う。
進学や就職、結婚、出産、といった「大きな選択」にはじまり、毎日何をしようか、何を食べようかといった「小さな選択」まで、あたりまえだけれど人生は、選択の連続、でできている。
何かを選ぶということは、すなわち何かを選ばないということ。何かを選びながら生きるということは、すなわち何かを捨てながら生きる、ということ。
そして、その「選ばなかったもの」に対
人間、人間くさくあれ。
「言われて嬉しいことば」というものは、誰にでもある。
それは、ある人にとっては「センスがいい」ということばかもしれないし、またある人にとっては「可愛い」ということばかもしれない。「賢い」や「一緒にいると落ち着く」かもしれないし、「きみ、変わってるね」というちょっと変わったことばかもしれない。とにもかくにも、言われて嬉しい一言というのは、どんな人にだって存在するんじゃないかな、と、思っている。