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タピオ・カーン RESURRECTION

「うぶ、やっちまったなこりゃ」

二輪駐車場で、リオは手の中のタピオカミルクウーロンティーを手に持って窮していた。先ほど激辛汁なし坦々麺を食べて火事になっていた口の中を鎮火すべくティーを買い、調子乗って追加でタピオカを入れた。冷たいミルクウーロンティーは確実に口の中の辛さを抑えたものの、甘い液体とタピオカがただでさえ担々麵で重くなった胃にさらなる負担をかけた。胃の中の液体量が増えて、胃が蠕動するたびに上層に浮かんでいる辣油が噴門を苛む!

「ぐぶ、やばっ」

勿体ないけど、もう飲みたくない。リオの愛車はYAHAMAのSR400。半世紀を繋げてきたYAHAMAのクラシックなフォルムに4ストロークエンジンを搭載したメタルのウルフだ。かっこよく見せつけるためにドリンクホルダーなどてシャバいアイテムをつけていない。ならトランクボックスに置く?いやだめだ。バイクの揺れでコップが倒れたら中がティーまみれになってしまう。

ならどうすればいい?リオはとなりに停まっているピンク色の原付に目を付けた。

(ダセェー、きっと乗ってる奴もダサいだろうよ)

リオはバイカー特有の軽蔑の目になった。彼は周りを見回った。人通りが少ない。

「よし」

リオは決意した。原付などのスクーターは大体、ハンドルの下、鍵穴の下や横にフロントポケットという収納スペースがある(場合によってオプションで付ける)。大きくはないが、傘やペットボトル、ドリンクなどを収めるにはちょうどいい。リオはそこに飲みかけのタピオカミルクウーロンティーをねじりこんだ。

「おすそ分けです」

彼の中ではこれによってポイ捨ては免れたと考えている。なんたる身勝手な自己完結か!リオはSR400をキックスタートし、エンジンを唸らせた。ドッルル、ドッルル、タピオ・カーン。エンジンが遠くなっていく。

そこから5分後、ピンク原付の持ち主、大学院生のスイショウが戻ってきた。

「うぇー、なんじゃこりゃ」

スイショウは顔をしかめた。ただでさえフロントポケットにゴミを入れられたらむかつくのに、それが誰かが飲みかけのドリンク、しかもコップに結露がついてまた置かれてからそう時間が経っていないという事実は彼女をさらに腹立たせた。

「きったねえ〜なんなんだよもう......ファックファック」

汚物を扱うように左手の親指を人差し指でコップを摘まみあげ、先端に触れないようにストローの側面でプラスチック膜の蓋を割り、路傍の排水溝にドリンクを流そうとした、その時。

ドーンゴラァーーーン!!!

「ひっ!?」

臓腑まで響き渡る雷鳴!スイショウは反射的に目をつぶった。そして再び目を開けると、さっきまで晴れだった空は分厚い雲に覆われ、夕刻ぐらいの暗さになった。雨は降っていない。

「びっくりしたぁ……うぇぅ!?」

安堵したスイショウだが、再び神経が緊迫する状況が訪れた。

無から現れたかのように、それが二輪駐車場にいた。黒いモンゴル帝国式の鎧を身に纏い、影のように黒いモンゴル馬に乗っている騎馬戦士。鼻から下は見事な黒ひげに覆われて、常人と異なった目は目白の部分が黒く、虹彩と瞳孔は白く、しかも発光している。まるでおしるこに浮かぶ白玉のようだ。

「タピオ・カーン……」

モンゴル騎兵は唸った。馬の腹に蹴りを入れて前進させる。右手は曲刀を握っている。

「あっ、あっあっ……」

恐怖でスイショウが身動き取れなくなった。五歳からの記憶が脳内でダイジェストに再生する。死亡に瀕する人間が過去の経験からピンチを脱するための手段を模索する走馬灯とも呼ばれる現象だ。多くの場合は不発に終わるが、今回は稀に役に立った。スイショウの脳内のデータベースにある記憶が浮かび上がった。

(今タピオ、カーンって言った?確かに二年前のタピオカブームの時、馬に乗っている黒い怪人が日本各地に現れて人を襲ったとか。被害者はタピオカを捨てたり馬鹿にしたり悪用したりしようとした人だとか。犯人はタピオカーンと大声で叫んだとか。はっ!もしかしてあれか?私はティーを捨てようとしたから……)

思考が加速し、現実時間の中でわずか2.5秒で結論に至ったスイショウ。彼女はすぐさまに跪き、献上するように両手でドリンクコップを持ち上げた。

「これは誤解なんですゥゥーッ!」
「カーン?」

スイショウの気迫な叫び、カーンは立ち停まった。

「本当に!本気で!一族郎党の命に誓ってぇ!このドリンクは私が買ったものではありませぇん!誰かが私のバイクに置いて私を陥れようとしたのですッ!捨てようとしたけど元凶は私ではありませぇぇん!どうか!どぉおおか!」

「タピオカーン……」

タピオ・カーンは曲刀を鞘に戻し、馬を降りた。そしてスイショウからコップを取り上げた。

「あっ」

一瞬「助かった」と思ったスイショウ、しかし理性の声がまた油断してはいけないと囁いた。

タピオ・カーンコップを、とくにストローの先端をモンゴルナイトメアに嗅がせた。そして次はモンゴルナイトメアにスイショウのにおいか嗅がせた。

「ブンーフ」
「うぅ」

魔馬の鼻孔から吹く湿っぽくて黒糖の匂いを帯びた息を、スイショウはじっと耐えた。

「タプーン、タププールルン」
「タピ?オカン?」
「タピフフ」

およそ二人の間でしか理解しえないコミュニケーション。そしてタピオ・カーンは申し訳なさそうにスイショウに一礼し、モンゴルナイトメアの背に跨った。

「タピオォォー!カァーン!!!」
「タピィーフィーンヒヒヒーーン!!!」

鬨をあげると、タピオ・カーンは走り去った。彼らが遠さがっていくとともに雲が消え、本来の晴天に戻った。

「生き、残った……?ははっ」

陽射しを受けて、スイショウは心の中から生きることに対する喜びで震え上がった。

「ファッキンバットホール野郎!私は生き残ったぞーッ!!!」

感極まり、スイショウは両手を挙げてバンザイした。後に彼女は数々の難関に直面するが、そのたび「でもま、タピオ・カーンと対峙したと比べりゃ大したことねえな」と思って克服してきた。

● ● ●

ドルルルルルロロロローン。向かい風に打たれながら、リオば高速道路を進んでいた。SR400のエンジン振動がハンドルとシートから全身に伝わる。

スピード……スピードがはいい。スピードの中ではスピード以外のものはすべて不純物。礼儀も、倫理も、法律も後ろに捨て去った気分だ。スピードの中でしか俺は自由になれない。嗚呼、ゴーイングマイウェイ……

スピーディな感傷に陥っているリオ。ふとミラーを覗くと、背後の空が曇り始めていると気づいた。

(えー、マジか。さっきまで晴れたってのに。降ってきたら嫌だな。次のサービスエリアに停まってレインコート着ようか)

ババー、バッババー、バーー。後ろからクラクションが響いた。

(うっせーな。煽り運転か?)

そう思った彼が再度ミラーを覗いた。後ろに走っている車両は何気に騒いでいる。黒い単車っぽい何かを避けている?単車?いや、なんか違う?馬?馬に乗ている?コスプレのオッサンが?高速で?馬って時速100㎞/hのスピード走れるんだっけ?てか近づいてくるぞ。

「タピオォォォ!カァーーーン!!!」

タピオ・カーンが愛刀「黒真珠」を抜刀して叫ぶ!

ズッッシャダンァァァー!!!

同時に空に稲妻が走り雷鳴が轟く!

「ヤベェッ!」

リオはアクセルを限界まで捻った。ライダーとして本能がそうさせたのだ!鬼気迫の顔、遠く離れてもはっきりわかる殺気立ったしるこに浮かぶ白玉のような目。わけが分からないが、タピオカーンが自分に向かってきている。追いつかれたらヤバいことになる気がする!

ドッドロロロロローン!4ストロークエンジンが唸り声をあげる。110、118、125、133㎞/h!バイクにとって極めて危険な速度だ!風圧と振動で全身の関節が悲鳴をあげているがリオはアクセルを緩めい。148㎞/h、SR400が出せる最大速度に達している!タピオ・カーンとの距離が開いていく。YAHAMAの誇るべきモーターテクノロジー!タピオ・カーンとモンゴルナイトメアが現代工業の前に敗北を喫するのか!?

「イカァーーン!」

否、ここで行かせるカーンではない!黒真珠を逆手に持ち、手綱を短く握っる。頭を下げて尻を持ち上げ、騎乗スタイルを馬賊モードから人馬一体のスプリントモードへ変更!さらに手でモンゴルナイトメアの首に触れてタピオカカロリーを送り込む!

「TARRBURRRRN!!!」

鼻と口から炎を吹き出すモンゴルナイトメア!全身の筋肉から血管が浮かび上がって体積が1.5倍バンプアップ!鋼鉄蹄がアスファルトを砕き、抉りながら爆発的に加速!開いた距離を一気に詰める!

「チクショォオオーーッ!」

ミラーを通して接近してくる悪夢ナイトメアを目にしたリオは絶望に叫んだ。

交差。水平一閃。ヘルメットを被った生首がスピードに見放されて後ろへ転がった。頸部の切断面から噴水のように血液が噴き上がる身体はなおハンドルを手放さず、しばらく走行したが、やがてバランスが崩れた。側面からアスファルトに擦って、死体が遠心力に投げ出され、バイクは2回バウンドしてカードレールに衝突した。

タピオ・カーンは振り向かず、黒真珠を鞘に納めて法定速度までスピードを下げた。そして次のサービスセンターに入り、勝利のタピオカ抹茶ラテを味わった。

(終わり)

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