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タピオ・カーン UNDER THE SEA

鹿児島県屋久島、のさらに南の方のとある離島。水深30メートルの海底にひとりの人影がいた。

泳いでいるのではなく、スパイクが付いた靴で岩礁を踏みしめて歩いている。纏っているのは潜水服ではなく、重厚なフルプレート。手には水中銃、背中にトライデントを背負っている。酸素ボンベの類が見当たらず、ヘルメットから泡が一切立てていない。

地上侵略のために送られたアトランティス人の斥候か?死した船乗りか漁師の怨霊か?それとも呪われた海賊デイビッドジョンズか?

否、彼は少し人間ばなれではあるが、分類上はれっきとした人間である。もし読者の中にミミズクに匹敵する夜目をお持ちの方が居れば、その胸当てに刻まされている頭に釘が刺さるウナギのシンボルが見れただろう。それはキリスト教の旧い一派、イルイト教団が用いる”イルイトの印”。彼の名はヴァシアン、教団の聖戦士なのだ。

照明を付けず、は岩の隙間を入念に見つめ、標的を探す。時刻は午前1時23分。十六夜月が夜空を照らしているとはいえ、水深30メートルに届ける光線は僅かしかない。常人なら自分の指も見えていないところだが、ヴァシアンは教団秘伝の霊薬で視覚が強化され、暗闇の海底でも問題なく周囲を視認できる。

何かを発見したヴァシアンは両足で体を岩礁に固定し、狙い定める。バチュンッ。緊迫していたゴムから推進力を得たハープーンが岩の隙間に突き刺さる。

尾端についているローブを引くと、90cmのウツボが岩陰から引きずり出された。抵抗する様子はない。ハープーンは見事に脊髄を貫通し、活け締めにしたのだ。

ヴァシアンは感慨も換気もなく、ウツボを腰に帯びている網袋に詰め込んだ。袋の中はすでに何匹のウツボが入っている。

霊薬、そして霊薬に適応するため肉体改造と訓練によって、聖戦士がイールと対等に戦えるようになった。ヴァシアンが息継ぎなし長時間水中活動できたのは肺活量がえげつないわけではなく、海水を吸って酸素を得ているからだ。

聖戦士に力を与える霊薬は材料もまたイールである。ヴァシアンは戦線を維持するためにこうして夜な夜なイール狩りして材料を確保している。

(薬材を集めるのも大切な仕事ってわかってるけどよ、そろそろ退屈だ。俺も本州に行ってミュィールタントと戦いてたいぜ)

と内心に呟きながら、ヴァシアンは次の岩陰を覗き込む。奥にイールが居る。事務的に水中銃を構える。

水流の乱れに気になるのか、イールは好奇心に駆けられ岩から顔を出した。

霊薬で視覚を強化されたヴァシアンの目に映ったのはミルクティーのような明るい茶色の体表に黒い斑点が散りばめている、まるでタピオカミルクティーのような体色を持つウツボであった。

((何だこのイール!?見たことないぞ!それにしてもなんてうつくしい……自然の神秘や……いや、イールを尊んでどうする!これだから島で延々とイール狩りやらされるんだ!無情になれ、俺は聖戦士だ!)

ヴァシアンは気を取り直し、水中銃を構える。聖戦士となればイールはどいつも同じ憎き神敵であり、殲滅対象だ。このタピオカミルクティーっぽいイールとて例外ではない。

スゴォーン……遠い海面から雷の音が聞こえる。ヴァシアンはトリガーを引いた。ハープーンがイールに向かって飛んでいく、しかしイールを貫くその直前、

「タピャーッ!」

射線上に何者かが入り込んで、ハープーンを弾いた!

(なっ!?)

ヴァシアンは目を瞠った。跳び下がりながら水中銃を捨て、トライデントに持ちかえる。乱入者の全貌が目に入る。

「タピオォ……カーンッ!」
「ゲコオココココーッ!」

それはモンゴル帝国式の騎兵鎧と纏った髭面の男と男が跨っている漆黒のモンゴルケルピーであった。男の手は刃が黒い曲刀を持っている。それでハープーンを止めたのだ。

「何奴っ!?海保……ではないな。さてはイールの眷属か!?近づくんじゃないッ!」

ヴァシアンは網袋から活け絞めたウツボを取り出し、トライデントを当てた魚質を取った。

「それ以上近づくとこいつのエラ孔をちぎるぞ!わかったか!」
「カーン?」

モンゴル騎兵は首をかしげる。魚質の意味をよく理解していないようだ。

「あん?」

聖戦士もまた困惑。気まずい海水が流れる。

「俺の言っていることわかっているか?このイールはどうなってもいいのか?」
「タピ?オカーン?」
「さっきからそればっかだな。日本語しゃべれないのか?ジャパニーズ、ドゥユーアンダーステン?」
「キャッサバ」

会話がゴルフみたいにあさっての方向に飛んでいく。ヴァシアンは考えを巡らせる。

(だめだ意思疎通できそうにない。しかしイールに魚質をとっても、あの反応から見てイールの味方ではないようだ。そういえばずっとタピオカーンとか言ってた。あのタピオカっぽいイールとなんらかの関係か?どちらしてももケルピーに乗った騎兵相手に俺ひとりじゃ部か悪い)

心の中に結論が出た。ヴァシアンはトライデントを下げ、敵意がないことを示す。

「わかった。あのイールは諦める。別にあんたに勝てないなど微塵も思ってないが、もし俺が負傷したら補給に支障が出て前線の兄弟たちに迷惑をかけるてしまう」
「カーン」

タピオ・カーンは微かに顎を上げ、合点した。海岸に戻っていくヴァシアンに警戒しながら、タピオ・カーンは考え事していた。

「……イカーン?」

彼も少々困惑している。タピオ・カーンはタピオカをコケにした奴を絶対に許さないが、目の前にいるキャッサと全く関係ない、ただタバタピオカミルクティーのような体色をした魚ははたして守護対象に入れていいのか?お人好しすぎたか?

答えは出ない。ただタピオカウツボが命の危機に晒される時に見過ごせない自分がいた。それでこの小さな命は失わずに済んだ。これだけが真実。

ついさっきまで自分の命が狙われていたことも知らず、タピオカウツボは呆けた魚面で岩穴の中に潜った。

タピオカミルクティーが先か、タピオカウツボが先か、今はその答えを知るよしがない。イールの生存戦略は驚異的であったと、我々は認めざるをえない。



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