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聖戦士、リーの誕生⑤

「し、死んだ、って」
「うん。きみが殺したんだよ」

 ガブリエルはそう言い、2枚目のプレッツェルを摘んで口に運んだ。カインはアベルを見つめた。弟の顔がひどく腫れて、頭皮に数か所痛々しい裂傷が開いていて、半開きの目が瞬くことなく虚空を見つめている。呼吸による胸の起伏運動も見られない。確かに、かなり死んでるっぽい。

「はっ、あぁ……あっあっ……」

 カインは青ざめた。

 カインはこれまでの人生に多くの生き物の命を奪ってきた。しかし今回はなんか違った。幼少期はイヴに連れられて弓矢と槍で獣を狩ったり、釣った魚を石に叩きつけて仕留めたり、毒餌を仕掛けて農作物を荒らす害獣を始末したりした。必要であれば、彼は生き物を殺すことに躊躇しない。アベルは自分と外見が似た人間だからか?言語で意思疎通できるからか?血が繋がった兄弟だからか?カインはわからない。でも獣と鳥と魚を殺す時と決定的な何が違う。エデンから離れた時の喪失感、リンゴ栽培が失敗した時の失望、養鰻で若くして成功を収めたアベルがに対する劣等感と悔しさとも異なっている。腹の中から苦い物こみ上げる感覚が。

「ごぼぁーーッ!」

 堪えられず、カインは四つん這い姿勢になって嘔吐し、嗚咽した。カブリエルはカイン横にしゃがんで、彼の背中をさすった。

「そんな……俺は、ただ、正そうと……そんなつもりじゃ……」
「よーしよし。そうだねぇショックでしょうねぇ。でもねカイン君、いくら悔しがっても、アベルはもう元に戻らないよ」
「んっひ……うぅ……天使の力でも駄目?」
「天使の力でも駄目。現時点では」
「……げんじてん?」
「今のきみじゃ理解できない話よ。それよりもう吐ききった?すっきり?」
「あ、はい。なんとか」
「じゃあ立ち上がって。あのお方が待っておられるのよ」
「え?あっ、はい」

 あの”お方”が待って”おられる”、その言い方にカインが引っかかった。天使の中でも地位が崇高のカブリエルが尊敬語を使う対象。つまり”あのお方”はカブリエルより上位だということになる。ということは、まさか、あのお方というのは……

 などを考えながら、カインはカブリエルの後ろについて農場を歩き渡り、以前にアダムが建てた休憩用の小屋にたどり着いた。小屋の外に、焚き火で暖をを取っているの老人がいた。銀髪のアフロと口ひげ、闇色の膚、肌の色よりも暗い額と目の周りについている斑。頭の後ろからは常に超自然の光に照らされて存在感と神聖さを出している。

「おお……!」

 カインは思わず声を漏らし、跪いた。初めてお会いになった時と比べてかなり御体が小さくなっているが、間違いない。彼こそが父と母を創りし、自分のとって祖父なるお方、神(モーガンフリーマン)その者である!

「なんて……なんて殊勝なこと……」

 宗教的陶酔に陥るカインを一瞥し、神は長い息を吐くと、口を開いた。

「アダムとイヴの息子、カインよ。あぬしはエデンから離れて30年の歳月を経てもなお、儂の戒めを守っている。喜ばしいことじゃ」
「はっ……ハイ!マコトに光栄ど存じます!わたくし、一時もアナタの訓えを忘れることがありません!」
「しかし同時に、儂は深く悲しみを覚えた。貴様が弟であるアベルに手をかけ、殺めた。先例ができた以上、これより人間同士の殺し合いは未来永劫まで続くであろう」
「し、しかしそれは、アベルが先に仕掛けてきてっ」
「子供じみた言いわけは無用。貴様が先に彼の事業を妨害したじゃあないか」
「……返す言葉もありません」
「しかし彼奴はアダムとイヴの息子でありながら、養鰻なる背信に手を染めたのも事実。おぬしがやらなくても、いずれ儂が何らかの形で手を下すつもりじゃった。しかしだからといって、あぬしを無罪放免するわけにもいかん。わかるじゃろ?アベルの死を認めた際に、心の中に湧き上がる感情を」
「はい……胸が千切れそうな、苦しい感覚でした」
「それは罪悪感というんじゃ」
「ざいあく……」
「”罪”を犯した”悪”い者を意味するワードじゃ。そして罪を犯した者はばつせねばならん。カブよ」
「ハッ」
「カインを拘束せよ」
「えっ」「御意」
「うえっ、ぐぁ……!?」

 カブリエルは素早くカインの背後に回って、優しめにチョークホールドをかけた。

「カ、カブ!?」
「じっとしててね。すぐ終わるから」
「よし、そのまましっかり頭をホールドするじゃぞ」

 神はそう言い、右手の人差し指に力を注ぎ込ん。指先に熱量が集中し、溶接器めいたプラズマ刃を発した。

「歯を食いしばれ!なるべくかっこいい印を与えてやりたいから、暴れていらんとこまで焼けたら承知しないぞ!」
「ンンンンンンンーーーッ!」

 カインは歯を食いしばった。高熱の神の指先がカインの額を焼きいていく。

「ンンンンンンンーーーッ!」
「シーシシ……いい子、いい子ね。もう一頑張りよ」

 耳の横にカブリエルが優しく囁いた。プラズマ刃の熱が皮膚と頭蓋骨を貫通して、カインの脳まで達した。

「ンンアアアアアアーーーッ!!!」

 カインの脳が沸騰した。もはや言葉では表れぬ、無限に続く苦痛のなかで、カインは見た。地中海の水中都市、東の海に浮かぶ島、そして遥かの大洋、陽の光が届かぬ海底にある神に仇なす異端の神殿、そこを支配するイール……イールのルーツ、そして目的……

 カインは自分がやるべきことが分かった。

「出来上がりじゃ。なかなかイケてるぞ」

 神は満足げに頷いた。カインの額には、横倒しの「S」の頭に棒が刺さった、頭に釘を打ち付けたイールの意匠が刻まれてた。

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「この紋章は人間の潜在能力をに力300%引き出してくれる。おぬしは人間を超越した存在となったのじゃ!さあ、高らかに名乗るといい!」
「私は、主より与えられた使命、聖なるいくさに身を投じる、誇り高き戦士。神聖な刻印を授けられ、生まれ変わった我が名はーー」

 カインは毅然と顔を上げた。その双眸は自信と使命感が宿り、先ほど弟を殺した罪悪感で潰れそうな男の面影がもはやなかった。

「私はイールにとって不俱戴天の敵、アンチイールネメシス、リーである!」
「GODハハハハ!イール(EEL)を反転して、リー(LEE)ときたか!シンプルで強い響きじゃ!その名を聞いたイール共は全身の鱗がよだち(鱗がないと思われがちじゃがウナギは確実に鱗があるのじゃ。詳しくは[ウナギ ウロコ]で検索してみるといい)、震え上がるであろう!では早速じゃが聖戦士・リーよ、汝に第一の試練を与えん」
「ハッ、何なりと」

 神はローブの袖に手を入れて、4次元内ポケットから一匹の生きているイールを取り出した。

「えっ、なに?どうなってる?」

 突如の状況に戸惑っているイールを、神はリーに差し出した。

「これを仕留めてみせよ」
「御意」
「おい、何を仕留めるって?説明……なっ、何をする!?やめろ!やめっ」

 パリッ、ボリッ!神からイールを受け取るや、リーは迷いなくイールを頭か齧りついた!頭骨が砕かれ内臓が吹き出す!イールの体が神経反射で激しく跳ねる!

「うわぁ、引きますねー」
「GODハハハハハ! ワイルドでよいではないか!」

 引くガブリエルと肯定する神。リーはわざと口を大きく開き、くちゃくちゃと音を立てて咀嚼して凶暴性をアピール!

「リーよ、新鮮なイールは美味しいかね?」
「くちゃくちゃ……いいえ、とても苦くて、ドブ臭いです。使命感を燃やして、味を無視しろと自分に言い聞かせて耐えています」
「それは上々。ところで、イールの血液にはイクシオトキシンという毒があるため生食に適していないことは知っているか?」
「くちゃむぇ?」リーは咀嚼をやめた。
「イクシオトクシンはタンパク質性の毒素。ちゃんと火を通せば毒性か変質して効果を失うが、生で摂取してしまった場合、下痢や嘔吐、そして炎症を引き起こす」神はリーの肩をポンと叩いた。「敵を知り、己を知る。もっと勉強せなば勝利は望めないんじゃぞ、聖戦士」
「ぐぇぇっ」

 リーは食あたりで2日寝込んだ。

【完】

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