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シャコウ・ティー

「ギャオオオオオ!」

 中型犬ぐらい大きさのタイガービートルが遠藤に飛ぶ掛かり、強靭な顎を数回開閉した。

「遠藤ォー!」

 誤射せぬよう、おれはマグナム拳銃に持ち替えて、近距離で甲虫の頭部を狙った。BLAM!

「ギョオオーッ!?」甲虫の頭部が爆ぜ、白い体液をまき散らしながら逃げて行った。化け物め。おれはしばらく奴が逃げた方向に銃を構え続けた。襲ってくる気配はないと確認し、遠藤に振り向けた。

「ああ……くそっ!遠藤……」麒麟紋を塗装されたアーマーの胸部が抉るように切り刻まれ、中から黄色い脂肪の塊とピンク色の筋肉が見えるぐらいの深い傷、素人でもわかるぐらいの即死だ。

「くそっ!くそっ!くそが!」

 悔しさのあまりに自分のふともも何度も叩いて、遠藤の側に座り、頭を抱えた。パートナーとの死別、これまで何度も経験してきた。遠藤、初めて会った日はよく覚えてる。おまえは銃をぶっばしたいから来たって調子を乗っていたところ、一日目の探査でヒョウに襲われた時はちびった。そして初めてシャコウナメクジを素手で掴んで見せた時の得意な顔。おまえは順調に成長して、一年も満たぬうちにもう一人前の腕を備えた。来月は休暇を取って日本の実家に帰るって言ったな……おれは五分ほど、彼女との思い出に浸った。OK、十分だ。

 彼女のバックパック外し、中身確認する。樹脂製の透明チューブの中に閉じ込めた、ブヨブヨとした黒いナメクジだ。どれも10cm以上に大きく、さっきの騒ぎを我関せずにチューブの中を這っている。

 こいつらはシャコウナメクジだ。こいつらの糞から、世界最高の紅茶と呼ばれるシャコウ茶が作られるという。いったい何があったらナメクジ糞を焙煎して茶作ろうという考えに至ったか。でもシャコウ茶が世に出た暁は、キーメンやダージリンなどを蹴り落として、紅茶の王様の座に就いた。これもまた事実。

「おまえは良くやったよ。遠藤」

 近くで待機していた四足機械駄獣『ディアフレンド』を呼び寄せて、彼女が入った死体袋と、彼女の装備を載せた。

「ディアフレンド、HQに繋げてくれ」

 ディアフレンドは角を模したアンテナを伸ばした。

「HQ、こちらはシュガー3。任務は完了。死者一名、平社員、遠藤サラ」『了解、速やかに帰還を願う』

 マイクの向こうから、オペレーター事務的に指示を下した。おれは荷物と共に積まれている遠藤をもう一度見たが、さっきまでの悲しみはだいぶ薄れた。おれも人が死ぬところに慣れてきたな。

7年前、フィリピン海に現れた新たな土地、アイスラ島に対し、各国が新しい資源を求めるべく、研究の名義で探検隊を発遣したが、現地で獰猛な原生動物の攻撃に遭い、多大な犠牲を払ったにも拘らず、有用な資源が極めて少なかった。その中で、やけになったイギリスチームは捕獲したナメクジを捨てた茶葉で飼育し、その排泄物を煎りて紅茶を作った。これが大変おいしかったとのことで、同じく排泄物から作ったシャコウネココーヒーの名を借りて、シャコウティーと命名した。金の匂いを嗅ぎついたフィリング政府は東洋において最高の製茶技術を持つKIRIN社に依頼し、アイスラ島で共同作戦基地を設立、野生のシャコウナメクジの捕獲と茶の生産を開始した。

「シュガー3!主任、冨頭マサキ、帰還しました!」「社員証確認、お疲れさまでした!」

 ウォッチタワーのフィリピン軍人がボタンを押すと、巨大な麒麟紋を描いた鋼鉄城門がちょうどおれとディアフレンドが通れる隙間を開いた。中に入ると、西脇部長が前庭にいた。

「大変だったね」「はい……また若者を死なせてしまいました……」

「きみのせいではない」西脇部長がおれの肩に手を置いて言った。西脇部長は線が細いが、露出している前腕に蛇が這うように筋肉が締まっていて、全く60歳の初老の男には見えない。坊主頭に加え、サラリマンというより、まるで軍人みたいな風貌だ。「疲れただろう。今日はもう休みなさい。遠藤君のことはあとで私がやる」「はい、ありがとうございます」

 西脇部長がタブレットを操作しディアフレンドを従わせ、オフィス棟へ行った。おれはライフルを担ぎ直し、寮へ向かった。

「おかえりー、おやついかがー?」一階の食堂に入ると、マリアおばさんはいつものように挨拶してくれた。

「いや、今日は食欲ないから、紅茶だけもらっとくよ」

「お茶だけだと、胃に悪いよー」「わかっているけど、けど、遠藤が、さっき死んじまって」

「あら」おばさんが申し訳なさそうが表情が浮かび、おれが差し出した紅茶券を受けっとった。「そうか……遠藤ちゃんが……いい子だったのにねー。はい、今日の分よ」

 テーブルに午後の紅茶ストレートティー二本とおいしい無糖二本が並んでいる。社員は基本一日二本しかもらえないのだが、マリアは遠藤の分も用意してくれたんだろう。四本のペットボトルを抱え、彼女の気遣いに会釈した。壁に「ナメクジの無断飼育は死罪」のスローガンが書いた廊下を経て、部屋に帰ったおれは1Lのジョッキにストレートティーとおいしい無糖各一本注ぎ、午後の減糖紅茶を作った。おれも糖分に気を付けなければならない年になった。ストレートティーは甘すぎる。

 午後四時、東南アジアの気だるい空気を肌で感じながら、紅茶を飲む、これがおれのティータイムだ。ファクトリー棟から、百合のような上質な香りが漂ってくる。シャコウティーか……その製造に関わりながら、一度も飲んだことないな。そりゃそうだ。1グラムで3000ドル単位の価値があるから、一介サラリマンが望めそうにない贅沢品だ。

「でも飲みたいよな……せめて死ぬ前は」

 おれは隠し持っていた水筒を開けた。中に大きなナメクジが、茶葉のカスをもりもり食っている。

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