スレイド・オブ・辛い麺メント

 ビジネスホテルのロビー。

 ラップを剥き、露わになったアナゴ・スシをしばらく眺めてから、口に放り込む。シャリの酸味、タレの塩味、アナゴの緻密な舌触りが口内でハーモニーを奏でる。アナゴ、つまりイールを食すことは俺にとって食事以上に、邪竜イールに対する聖戦行為である。旨いスシと宗教的高揚感がコミコンと戦闘と飲み会で疲れたニューロンを癒す。頭の中に慈愛に満ちたジュクゴマスターのご尊顔が浮かびあがった。スシパックをくれたマスターに感謝しながらスシを嚥下し、口内に残ったシャリをビールで流しこんだ。最高の晩酌であった。

 のはずだった。

『ズルズルーッ!ズルズルーッ!』

 向こうの席でカップ麺をすする狐頭さえいなければの話だ。

「お稲荷様だわ!」「すごい!こんな都市部で見れるとは」

 遅れてチェックインした中年夫婦がマラーラーを見てはしゃいだ。さすが神との距離が近い国ジャパンだけある。ホテルのロビ―に居る狐頭の妖怪だが神だが知らない奴は珍しいがさほど驚くとこではないようだ。

「お稲荷様、お疲れ様です。良い夜を」

 とおばさんの方がにこにこしてマラーラーに声をかけた。食事が邪魔されたマラーラーは目を細めて、口に麺を咥えたまま人間が猫や犬に向かってシッシッするような仕草で手を振った。それでも中年夫婦は万年の笑顔で応え、エレベーターに入った。

『ズルズルーッ!ズルズルーッ!』

 夜食を再開した。ロビーを響きわたる啜り音。

「……そろそろ話を聞いてもいいか?」

 と尋ねた俺を一瞥し、マラーマーは視線をカップの中身に戻した。シカトか。

 もはや怒る気力も残っていない。俺は次のスシを摘み、ラップを剥いた。

『フゥー』

 カップを傾けてスープを飲み干したマラーマーは二杯目のカップ台湾ラーメンに手を伸ばした。蓋をはずし、箸で時計回り撹拌してディッグインした。ちなみにカップ麺の金は俺が払った。

『ズルズルーッ!ズルズルーッ!』

 嫌らしい奴め。さっきから辛い麺を啜って食べやがる。辛い料理、特に汁気の多い辛い麺では、急いで食べると辣油やスープが跳ねて気管入ってしまい、呼吸系に甚大なダメージを与えてしまうリスクが高い。なのにこいつはしょっぱなから爆音を立てて啜ることで自分の辛味耐性と喉括約筋の強靭さをアピールしてくる。嫌らしい奴め。

『ずずずーっ。フゥー、ご馳走さん』

 犬科動物らしい長い吻部で起用にスープを零さずに飲み干し、マラーマーはカップをテーブルに叩きつけた。

「人の金で食べる辛い麺は美味しいか?」
『まあまあだった』
「そりゃよかったね。で、アンタはなぜここに居る?Killer-刃-がお前を吸いつくしたんじゃないのか?」
『お前は自分が持っている能力も把握していないのか?』
「怖いから使いたがらないんだよ」
『……お前に負けた自分が情けない。左の尻ポケットを探ってみよう』
「んあ?なんかある……なんじゃこりゃ?」

 ポケットから取り出したのは、三枚のカードだった。それぞれ狐頭を模したヘルメット、魚鱗鎧一式、獣の足を模したブーツが描かれている。テキスト欄に「スパイシーウェアフォックスコーデ」と書いてある。

「おいおいおいおい、これって暗黒剣闘カードじゃねえか!?」

 なぜ勝手に増えたし!Killer-刃-は吸ったイマジネイションをカードにするってのか!?おい待って、この設定、どこかで……

「カードキャプターさくらかよ……またパクリって言われちゃう……」
『左様。オレは貴様の一部となった。不本意だが、今日からお前はオレの頭目だ。よろしくな』
「信じらんね……」俺は力が抜けて、椅子に沈んだ。「やはり闇の力なんか使うべきではなかった」
『力は責任が伴うことを知るいい機会になったな』
「ヴィランがベンおじさんのセルフを語ってんじゃねえ。こうなりゃ、二度と悪さしないようにきっちりお灸してやらないとな」
『それは心配ない。あの魔剣はオレの邪心と野望を取り除いた。モモノから離れたため、カイイエンとハパネロ、そしてクリムゾンバレットも失った。もうあれほどの騒ぎを起こせないだろう』
「味方になると急に弱体化する現象か」
『それでもアイキル・ドーで貴様をねじ伏せることは容易い』
「負け犬の負け惜しみにしか聞こえんな。いや、負け狐と言うべきか」
『辛い麺を奢ってくれたことに免じて、聞かなかったことにしよう』

 マラーラーは上半身をテーブルに乗り出し、琥珀色の目で俺を見つめた。

『いくら頭目でも、オレに対する侮辱はそれに相応の報いを覚悟をして頂く。いいな?』

 野生動物じみた殺気で俺は首筋が掴まれた錯覚を覚えた。やはりこいつは人間が定めた倫理と道徳を気安く破く存在であると再確認した。

「わ、わかったよ。アンタを尊重する」
『うむ、対等な関係でやっていこう。ホイズゥ』

 マラーラーは右手を伸ばし、掌を開いた。握手会を求めているようだ。これは握った瞬間に関節を極めたれるパターンではないのか?少し躊躇して、妖狐の手を握り返した。手の甲は毛がふさふさで、掌の部分は……肉球のおかげで意外と柔らかく、しっとりしていた。

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