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仮面ライダーオーズ 10th 復活のコアメダルを見た。面白かったよって話と、酷評をちょっと調べてみたよって話。

・オーズの映画を見てきた。世間ではだいぶ酷評されているけど、私は面白いと思った。ので、軽く感想を述べたのち、酷評についての感想も述べたいと思う。

・前述のとおり、私はこの作品について肯定的な視点から語ることになるので、それを許容できない人はブラウザバックをして欲しい。また、ネタバレもガンガンに入れるので、それも自己防衛してくれ。

映画の振り返りと感想

・物語の冒頭部。比奈ちゃん、伊達さん、後藤ちゃんと、懐かしいキャラクター達の登場に胸が熱くなった。そして、満を辞しての復活したアンクが映司と対面したシーン。「おかえり、アンク」の言葉よりも、グリード達が暴れている状態で映司が何もしていない違和感の方に意識がいってしまっていた。

・レジスタンス本拠地をアンクが訪れ、何があったかを聞く。映司は子供を庇って大けがをした後、行方不明らしい。アンクが映司に会いに行ったところにウヴァの襲撃が起こるけど、何故かタトバで圧倒。ガタキリバが分身したときは「予算いっぱいある!!!」と思ってしまった。インターネットミームって怖いね。実は英司は瀕死で、ゴーダというグリードが身体を使っているらしい。どうやら最初に抱いた違和感はちゃんと意図されたものだったのだと安心した。(実は、「あんだけ酷評されてるんだから、何が起こっても不思議じゃない……」と考えていたので、英司が何もしないのですら伏線じゃない可能性に怯えていた)

・敗走してきたウヴァへの粛清+他グリードへも粛清で、グリードたち全滅。Vシネの尺なので仕方ないとはいえ、流石にちょっとふふってなった。

・ゴーダは英司(の欲望)をベースにして作られているので、演技をしているときは英司にしか見えないのに、本物ではないので「メダル!」「コンボなら!」という声にアンクが不承不承でしか従わないのが、アンクと英司の紡いできた絆をありありと表していて、個人的には好きなポイントだった。

・わざと古代オーズに取り込まれたアンクが恐竜メダルを奪って、ゴーダがプトティラに変身したところは、テンションが上がってしまった。リアタイしていた当時、制御しきれないけどめちゃくちゃ強いプトティラがめっちゃ好きだったので。

・ゴーダの裏切り。ぶっちゃけ「そうだろうな」という展開ではあった。ここまで後藤ちゃんの返信しか見れていなかったので、伊達さんの変身がみれてニコニコ。アンク in 英司も見れてニコニコ。新しいタジャドルの音が英司とアンクの声になってるの、オタクが好きなやつなので当然私も好き。

・ゴーダを倒して一件落着かと思いきや、自分の体からアンクを出し、英司が死んでしまってエンディング。普通に泣いてしまった。「英司はアンクの力の一部を受け取って、復活するのかな~」と思っていたのでびっくりしたけど、まあこういう終わり方もあるよな、と思った。「自分の燈火を消してでも復活させたかった相棒が、自分に縛られ続けるのは嫌だ」という動機を(合っているかどうかは別として)容易に想像できたし。

・主題歌がしっとりとしたアレンジで流れた後、当時毎週見ていたオープニングが流れる。ここでもちょっと涙がこぼれたけど、感動ってよりはノスタルジーからくるものだったかもしれない。

世間の酷評を見て

・見終わっての感想は「面白い作品だった」「叩かれまくってたからビビってたけど、全然いいじゃん」というものだった。とりあえず自分の感想を書いてから人の感想もちょろっと見たところ、酷評されている理由は3つくらいあるのかな、と思った。

・結局、英司が一番最後のちょろっとしか出ていないこと。最後がハッピーエンドではなく、英司の死で終わったこと。本編で積み上げたものが無くなってたこと。このあたりで酷評は分類できるのかなって思う。

・英司が最後にしか出ていないこと。これに関しては、見ている最中は「相棒だけど相棒じゃない奴に振り回されるの、さいこ~~~~~」という感情を咀嚼していたので何とも思っていなかったけど、今になって思い返してみると、割と賛同できるマイナスポイントだなと思う。

・やっぱり、10年ぶりに見るオーズなんだから、英司とアンクのコンビをちゃんと見たかったなぁという感情、実際ある。


・ラストで英司が死んだこと。これに関しては、私はこういう終わり方が結構好きなので、何とも言えない。まあ、ニチアサにハッピーじゃないエンドを持ってくるのがいいのかという話はあるし、ニチアサに限らず多くの場合はハッピーエンドが求められる上に、10周年記念で作られた作品ともなれば猶更なので、酷評している層への一定の共感もある。

・この映画は、アンクが主人公のビターエンドものだったと私は思う。古代オーズやゴーダが倒せずに全滅するのがバッドエンドで、敵を倒して平和を取り戻したけど、相棒を失ってしまったのでビターエンド。


・最後に、本編で積み上げたものが無くなっていたことなのだが、私はこれに共感ができない。

・曰く、「英司が自己を顧みずに人を助けようとする人間から、自分一人ではなく手を取り合うことでより遠くに手が届くことを学んで成長したはずなのに、その成長が無くなっていた」とか、「ドクター真木を否定したはずだったのに、結局その考えを肯定する結末だった」とか、そういうことらしい。

・らしい、というのも、私自身がオーズを当時リアタイで見ていたっきりなので、そこまで細かいことを覚えていない/理解できていなかったからだ。オーズ放送当時の2010年、私はまだ小学生だ。二桁年齢には達しているもののまだガキでしかないため、当時見た作品の記憶は曖昧だし、その幼い脳で作品内のメッセージを拾い切れていたかも怪しい。

・よって、私の中には、面白かったという記憶と、それぞれのキャラクターの概要(例えば、英司であれば救済欲求や英雄願望が強く、ちょっとのお金と明日のパンツで旅をしている青年、アンクであれば自分勝手だけど英司と共に戦ううちに本当の仲間になった、アイスが好きなグリード、くらいの感じ)、ある程度のストーリーラインでしか残っていない。

・そんな状態であるため、この10年間でより深くオーズを楽しんできた人たちの憤りに共感できないというのが、正直なところだ。念のために明言しておくが、私が共感できないというだけで、その感情を否定するわけではない。作品に対する感想や感情とは、自由なものなので。

・ただ、私が共感することはできないが、深く楽しんできた人たちを怒らせてしまっていることは間違いない。一番金を落としてくれるのはその層なので、そこを失望させている以上、商業作品としては失敗なのだろう。

・それでも、私は面白いと感じた、ということをここに残しておく。

なぜ私が面白いと思えたのか

・と、いったように、自分の感覚と世間の酷評をすり合わせてみたわけだが、思いの他共感することができる、という結論になった。であれば、なぜ私が楽しむことができたのだろう、と考えてみた。

・結論から言うと、「二次創作やifストーリーに触れる感覚で見たから」だろうと思う。

・私は今回の映画が本編の続編だという情報や「いつかの”明日”に手が届く!」という煽り文を脳に入れることなく、オーズの正統な続編という意識を特に持たずに見た。意識してみれば、私の面白かったという感想も、続き物ではなく、1本の作品に対する評価としてのものだ。

・子供の頃大好きだったオーズの続編が、主人公であるはずの英司はほとんど出てこないどころか、最後に死んでしまう終わりだったと最初から分かっていれば、私も面白いという感想は……まあ、普通に抱いたと思うな、多分だけど。そのことを知った今も、面白い作品だったという評価は覆ってないし。別の問題として、納得感の有無が浮上するだけで。

・ともかく、「正史」として見るか、「外伝」として見るか、という意識の違いがあって、正史としてお出しされたものを、私は外伝として見ていたために、「そこまで酷評されるものか……?」と私は思ったのだろう。

・色々書いたけど、「私は面白いと思った」という結論以外は全部チラ裏の落書きなので、よしなに。


・余談。

・見終わった後、映画館の外に出るまでずっと前にいた2人組が、シアター出てすぐに他人の感想をスマホで見ながら批判的な感想を語らっていた。批判的な感想は別に何の問題もないのだけど。このnoteを書くために他人の感想を読んでいると、その2人組はこれを見ていたのであろうと分かった。その2人の会話が、それをベースにしたものだったからだ。

・自分の感想をアウトプットするというのは、存外に難しい。きれいな文章にならないことも多く、それを他者に共有する恥ずかしさも共感できる。それに対して、他人の感想に乗せて話すことは非常に簡単だし、整然さも借りることができる。

・娯楽が溢れかえっている現代、私も楽な娯楽に流れる傾向があることは自覚しているし、そんな中でささやかな抵抗として、触れた作品の感想を自らアウトプットするようにしているのは、私のエゴでしかない。だから、私にその2人組を責める道理も理由も気もない。

・だけど、やっぱり少し悲しく感じた。人の威を借りていない剥き身の感想を見せ合うことは、楽しいことだと思っているので。

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