運命を嫌う
「嫌いなんだよね、運命ってやつ」
円形の卓上に置かれた本を片手でパラパラと捲る彼女——人見優は、至極つまらなさそうな顔でそう言った。呟きを聞いた彼——日高周人は、続く言葉を求めて彼女の方を見やる。ややあって、本を閉じた彼女は、彼と目を合わせてから再度口を開いた。
「いや、実際のところ、嫌いってほどではないんだけど。好きじゃない、くらいの感覚」
「と、言うと?」
そんな問いかけを受けて、彼女は少し考えるそぶりを見せる。明確な理由のないものだっただろうか。だとすれば、嫌な質問をしてしまった。少し上を向いてそう考えていた彼は、一つの頷きを視界の端に捉えた。
「まあ、日高ならいいか。理由を聞いて馬鹿にすることもないでしょ」
どうやら、彼が想像していたものとは違った思案だったようで。どうあれ、話す気になってくれたらしい彼女に、彼も一つ頷いた。
「多分ね。よっぽど滅茶苦茶な理由だったら話は別だけど」
「いや、どうだろう。滅茶苦茶といえば滅茶苦茶かもしれない。その判断は君次第になると思うよ」
このまま彼女に喋らせると持って回った言葉を並べ続け、結論がいつまでたっても聞けない。数年の付き合いからそう学んでいた彼は、いつものように「それで、結論は?」と促した。
「あって欲しくないんだよ、運命なんてもの」
「はぁ」
そんな彼女の解答に、間の抜けた驚きが口から漏れ出る。促してなお、迂遠な言葉であることはいつも通りだ。驚きはない。その内容に対して不可解が湧いた。
「……運命が存在する方が、ロマンがあると思うけどな」
ひとまず返してみた言葉は、存外に自分の本心を映していることに彼は気が付いた。
「それじゃあ、運命が無い世界はロマンに欠ける?」
その問いに、彼は顎に手を当て、少し考える。『運命』と言ってしまうとどこか大仰でおとぎ話じみているが、人の意思が介在しない、人の力では関与しえない事象の存在は、少しばかりの無力感と引き換えに、夢のある世界を形作っていると彼には感じられた。なればこそ、運命にロマンを覚え、それがない世界にはロマンが欠けると感じてしまう。故に、彼は答える。
「うん、そうかな。少なくとも、僕はそう考える」
そんな回答を聞いて、彼女はつまらなさそうな表情と楽しそうな表情を同時に浮かべる。何度も見た顔だが、そのたびに器用なものだと感心させられる。
「じゃあ、私はロマンに欠けると?」
「……まあ、人見の考え方に関しては」
少し言葉に詰まりつつも、彼は部分的な肯定を返す。
その躊躇いは友人の考えを悪く言っているような感覚からくる忌避感によるものであるのと同時に、友人のスイッチを押したときの面倒くささを憂いてのものでもあった。
「私からすると、むしろ逆だと思うんだよね」
そう言った彼女の顔は、手品の種明かしをする子供のようにワクワクとしたもので、これがスイッチがオンになった証拠だということを彼はよく知っていた。面倒くさいと思いつつも、結局いつも彼女の言葉を促してしまう自分に苦笑しながら、相槌を返す。
「その心は? と言っておこうかな。……そう言うまでもなく、話し始めるだろうけど」
付け加えた言葉は、彼女には届かなかったか。いや、おそらくは聞こえた上で気に留められなかったのだろうが、ともかく彼女は楽しそうに語りだす。
「私は人間が好きだからさ、全ての出来事はその人が選択をした結果起こったものだと考えたいんだ。人間の持つ力っていうのは凄くて、その人が経験すること全ては、その人自身の言動によって掴み取った結果だ、って。」
「それが悪い出来事でも?」
「もちろん」
彼の挟んだ質問に、彼女は考えるような間もなく、即座に肯定を返す。
「『偶然に起こった運命の出会い』だって、どんなに理由が小さかったり、他人に強制されたことだったりしても、その人達がその日その場所に行くっていう行動を起こしたから起こるものでしょ? 逆に言えば、どちらかがその選択をしなければ、その出来事は起こらない。だったら、運命なんていう不確かなものによって起こされる事象じゃなくて、自分達によって起こした事象だよ」
「まあ、言いたいことは理解できるかな」
「でしょう? もちろん、この理屈が余りにも現実離れしているというか、理想論的というか、そんな感じだってことは分かってるつもり。それでも、やっぱり私は、人間の歩む道は、良いものだろうと悪いものだろうと、その人間が引き寄せて掴んだものだと思い込みたいし、人間はそれだけ可能性に満ちていると信じたいんだ」
つまりは、運命の否定とは、彼女からの人間讃歌なのだろう。そう自分の中で納得を付けて、彼は頷く。
「なるほど、確かに、君のいう考え方なら、運命を嫌うのはロマンチストかもね」
「でしょう?」
我が意を得たりと言わんばかりに、彼女は嬉しそうに言う。その返答として、彼は軽く肩を竦めながら言った。
「でも、いつも通り偏屈な考えだと思うよ」
そんな言葉へのお返しとして、1発のデコピンが飛んできた。
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