湿ったタオルケット

 昨日は、少し湿ったタオルケットをかけて寝た。私が目をこすってばかりいるのが、タオルケットのダニのせいではないかと思い、洗濯をしてもらったのだ。昨日は空が不安定で、雨が降ったら大変だと部屋の中でタオルケットは干された(雨もぞ降れ、だ)。乾かなかったときのために、さらに薄いタオルケットが私に用意されていた。

 いざ寝るときになって、少し寒いな、と思う。それは母も同じだったようで、母はもう一枚余分にタオルケットをかけた。私のは、と聞くと、乾いたんじゃない、と返される。もう布団に入りかけていたのに。まあトイレにも行きたいし? と理由付けをしながら、私は干してあるタオルケットに会いに行った。


 結論から言うと、タオルケットは完全には乾いていなかった。触ればまだ少し冷たい部分があり、あまりこれをかけて寝たいとは思えない仕上がりだった。乾いてないなら諦めるか、と引き返そうとした足。肌寒いまま寝ることになるよ、とその足を引き留めた。一部分だけ乾いていないだけかもしれない。もう一度違う部分を触る。やはり冷たい。全体的に生乾き。でも眠れないほどではない。どうしようか。しばしの逡巡。うーん、とうなりながらタオルケットを抱きかかえてみると、洗剤のにおいがした。ふんわり香る、というものではない。がっつり匂っている。あまりいい匂いについて、「におう」という言葉は使いたくないけれど。どうして「匂い」は使っていいのに「におう」は使いたくないのだろう。

 結局、乾いていないタオルケットをかけて寝た。洗剤の匂いに包まれて寝てみたいと思ったからである。外に布団を干して、おひさまのにおい! というのを見たことがあるけれど、外には干せなかったので、洗剤の匂いを堪能するわけである。明日になって、完全に乾いたら、この匂いは去ってしまう気がした。湿っているからこそ、匂いがするのだと信じた。


 朝になってみれば、途中で暑くなったのか、湿ったタオルケットは投げ出されていた。洗剤の匂いも残っていたし、鼻水が出るのは変わらなかった。湿ったタオルケットをかけて寝る意味は一つもなかったのだ。ただ、そういう、意味のないことを愛していたい、とだけ考えた。それ以上考えると、素直に干しておけばよかったな、と思ってしまうから、やめた。

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