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ラノベは金持ちの趣味ではないか、そうではないか。

夢を語って死に至る。

職場近くのバーでビールを飲んで居てたら、隣で男二人が夢を語り合っていた。なんだか曖昧で実現性に乏しい、蜃気楼みたいな夢で、中身を覚えていられなかった。でもなんか、ソレを見たときに「白木屋で夢を語る友達」テンプレを思い出してしまった

白木屋で夢を語るテンプレについては各自検索のこと。

ライトノベルは同人でやれ

ライトノベル。2000年を境に使われ始めたこのYA/ジュブナイル小説の系譜を継いだ文藝領域は、そもそもは子供を対象読者としていた〈はず〉であった。富士見書房(ドラゴンマガジン)には10代の編集者がいたし、あかほりさとるは『ブギーポップは笑わない』以降のダークメルヘン&怪談系ホラーが量産されている状況を「同人でやれ」と吠えていた。

ところが、2010年前後には、「ラノベは金持ちの趣味ではないか」というようなことが実しやかに、というより半ば怨念込みで語られるようになっていたことはあんまり知られていないと思う。

その発端はいくつかあるのだけれど、論理は非常に明快だ。ブックオフで高いから。以上。古本屋で高額が維持されるのはよく売れるからで、売れるのは読まれるからだ。だが、ラノベはまとめて買うには高すぎる。何せマンガとほとんど変わらない、どころか、新刊の値段がマンガより総じて高い分、売値も1冊400円ぐらいになっていた。

不思議な原理

不思議でもないけど不思議なことに思う人がいるだろうけど(ややこしいな)ライトノベルは適切な時期に適切な絵柄が描かれていないと全然売れないわけで、古本屋には適切さを失ったラノベが山積みされている。ラノベの範疇から外れる微妙なノベライズ作品もだ。

首藤剛志 『戦国魔神ゴーショーグン』(アニメージュ文庫、1983)は微妙かつ絶大な人気を誇る名作ロボットアニメのノベライズだが、今のラノベとは比べものにならないほどみっちりと組まれた字詰めで、スラプスティックな、そして愛すべき修辞で書かれた本だ。「その後の」という続編も出た。戦国魔神ゴーショーグンのノベライズは当然ラノベとは見なされない。その理由が原作付きであるからなのか、絵柄が古いのかかは分からないけれど、とりあえず100円で投げ売りされていた。

武蔵(仮)の夢

武蔵(仮名)は、ぼくが奢ったレモンハイボールを飲み干しながら「ラノベは金持ちの趣味なんだよ」とわめいた。なぜか。100円で買えるのは文学作品ばかりだ。だが、ラノベは300円出さないと買えない。

そのうえ、300円だしても一冊しか買えない。話題の本なら400円出さないと買えない。そのシリーズは10冊ある。3000円(以上)が必要だ。しかも税抜きときてる。

「貧乏人は文学を読むんだ。そして、金持ちはラノベを読むんだ」。ハイボール(390円税込み)を飲み干して武蔵はわめいた。俺に3000円があれば。俺に〈ドブに捨ててもよい〉3000円があれば、あのラノベがかえるのに、だ。

ぼくは戦国魔神ゴーショーグンを引き合いにだしながら、100円で買えるラノベもあると言った。だが彼はケッと笑って言った。そんなものはラノベじゃないんだ。もっとこう、萌えるものなんだ。

 萌えるもの。だったのか。

 2000年代はそんな話を真面目にしていた時代だった気がする。あれほど夢見てみた300円のラノベを売っていたブックオフは姿を消してしまった。みな知識も娯楽も必要なくなってしまった。この世界に残ったのは空しさとアマゾンプライム会員が見ることが出来る話題作とも懐かしの作品とも就かないなにかだけだった。

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