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「きみはあいつらより、永遠に若い。」

表記は違うけれど、津村記久子さんに同じタイトルの作品がある。実に、なんというか、そのとおりだなあって思う。この小説にはカレー屋で何カレーを頼むかという男女の会話があって、そこで30代の男女が「野菜が取れるかどうか」でカレーの種類をえらぶような会話があった。

男がえらんだのは、たしか茄子カレーだったと思う。

その本は僕の手元にはない。Mさんという女性の元にある。何かのお祝いであげたのだけれど、何の祝意だったのか思い出せない。ぼくも、以前はよく小説を読んでいたのだけれど、貧すれば鈍すで、最近はめっきり読まなくなってしまった。積極的に「読まなくなった」理由があるわけでもないところが、根が深い。でもうろ覚えだからこそ、記憶の中のフィクションは現実よりも強い、のだろう。

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僕がぼんやりと好きな作家に、ジョン・アーヴィングという人がいる。1940年代生まれの長編小説の名手で、落ち着いた文体と、牧歌的でやさしいアメリカの自然と都市の両方を過不足のない描写で描いた。

「風景描写なんてグーグルアースでいいじゃん」といったのはホリエモンだったような気がするけど、違ったかな。グーグルアースもユーチューブもなかった時代の、温かくて過酷なサンフランシスコを描いたアーヴィングの小説は、タイムマシンよりもずっとリニアにアメリカの姿を伝えているのだと思う。『ホテル・ニューハンプシャー』、『ガープの世界』、『オウエンのために祈りを』。どれも素晴らしい。


ベトナム戦争、冷戦を通り越したアメリカの都市に流れた時間は、「近代」を駆け足で通り過ぎ、敗戦と高度成長期を狂気のまま過ごした日本には存在しない、青くて鮮やかで、ほんの少しのモノクロに染まった都会性を思わせた。

ジェンダー的な思想をとりいれ、リアリズムに徹したアーヴィングの小説は新しくもなければ古くもない。ずっと読めて、ずっと読み続けていたような作家だ。

書名はわすれた。

女性が男性にスカッシュで勝利するシーンが、ほんの一コマ何気なく挟まれている場面があった。主人公はたしか隣人か友人の勧めでスカッシュをはじめたはずだ。そしてハマっていく。スカッシュが面白い理由を問われて、その主人公の女性はたしか「一人でもできるところ」と答えた記憶がある。また読み返したいけれど、書庫のどこにあるのかはわからない。

でも勘違いするべきではないだろう。ジョン・アーヴィングにとってジェンダーの本当の問題は、勝利する女性を称揚することではない。敗北する男性を、その無念さやヒロイズムをすべて消し去って淡々とえがくことだ。

一筆で、鮮やかに。

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励ましの言葉の多くは性別を越えられない。

男性が女性を励ます時には下心や名誉欲の滲出があり、女性が男性を励ます時には母性や心配が配合されている。同性が励ますのはさらに難しい。励ますのが簡単なのは「仲間」だと思う。スポーツのチームメイトとかだ。仕事の付き合いは「仲間」ではない。

その絶望のなかでも「君はあいつらより永遠に若い」という励ましは最強の言葉の一つだと思う。全てで敗北していても構わないし、全ての罪が相手にあってもよい。それでも間違いない現実として「あいつら」が過ぎていった時間を握りしめている。誰にも渡す必要がないもの、誰にも受け渡さなくて良いもの。

握りしめているものに限って何が大事だったかわからなくなることはよくある。メガネとか、コンタクトとか。探し物はすでに身につけている。

ジョン・アーヴィングの事を思い出しながら、自分たちもまた誰かから「あいつら」として、若くなさを指弾されるようになったことを知った。それでいい。きみはぼくらより永遠に若い。

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