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ハロウィンが終わって数々のコスプレ女子が現実に帰ってしまったあとでも、かわいい女の子は現実にいる。しかし現実を超えたところにもいるし二次元にもいる。いるのだが、その「かわいい」には微妙で政治的ではっきりしていないが厳然とした違いがある。

女の子が考えるカワイイと男の考える可愛いは厳然として違うと述べたのは情熱大陸に出ていた名前失念のデザイナーだった。彼女はピンク色の色見本をみながら「これはかわいい、これはかわいくない」と断捨離して「かわいいピンク色」を見つけ出すのだが、その手つき・目線、そして判断はなんどみても基準がよくわからない。

結局のところ女の子がかわいいと思うそれを男が同室のかわいいで埋めることはできないのかもしれない。そして男がかわいいと思う可愛さは『ご注文はうさぎですか?』にすべて詰まっている。

ご注文はうさぎですか?のタイトルの由来は、ココアが子供のころにチノのおじいちゃんにあった回想場面に由来する。その老人はうさぎに転成してチノのアタマにのっかり、四人から六人の女の子たちの楽しげな生活を「やれやれ」といった感覚で眺めるのだった。

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ところで、『AIR」というやや説明が難しいエロゲーがあり、その後半はカラスになった主人公が元恋人の二週目をみているだけ、という不思議な構成になっている。このカラスは文字通りのリアルなカラスであり物語に参与することができない。カラスの視線の先にある〈物語〉をひたすら見続けることしか、プレイヤーには許されていなかった。

このような、物語世界に参与しないが視聴者の代理になるキャラクターのことを「作中主体」というのだが、その「主体」が傍観者なのか、それともはっきりとした実態として運命を切り開く主人公なのか、というのはとても大きな違いであるらしい。

女の子が女の子のカワイイを実現しつつ、一部大きなお友達を視野にいれた作品にプリパラとアイカツがある。このうち、プリパラは小学校五年生の女の子が友達と一緒にアイドルとして成長していく物語で、その成長は何かみていて猛烈に消耗する。(作品は超面白い)。

それは結局のところ視聴者が作品とどのように関わるのか、という視点の違いによるもので、自らが女の子の主人公となって女の子の成長をよろこび、感じ、恋人や母親になる姿を追体験することは疲労感ありあり男子にとっては疲労と軽度の困難を感じさせる。特に女の子が母親になり、赤ちゃんを育て、未来には恋人をつくるでろう〈未来〉の希望を幻視する場面は、それを受け入れる覚悟を読者に要求する(順番めちゃくちゃな気がする諸賢もいると思うが、この順番で間違いは無い)

この疎外感にもにた感覚はプリパラ好きの女子には若干受け入れがたいものかもしれないし、そのような見方をすること自体がプリパラに対する冒涜かもしれない。だが、そのような感覚を得ずに見ているだけで女の子かわいいと思うだけの動物になれる作品がご注文はうさぎですか?なのであった。

 なぜご注文はうさぎですか? スロウスタート ブレンドSといったきらら系の作品がわたくしめにとって癒やしになっていたのか分からなかったのだが、要するにこれらの作品においては男の視聴者というのはカラスの役割すら匂わない見えない硝子の向こう側で物語世界から隔離されているからという結論になりそうである。

 そういうのを全部のぞいてもごちうさは癒やされる。永遠に女子が幸せでありますようにと願いながら、やれやれ、といいながら、ごちうさという天国をみて私は寝る。

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