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町おこしと「失敗」願望

今月号の『AERA』は、羽生結弦選手の表紙でちょっとだけ特集が組まれている。なかなか楽しみにして中身をめくると、巻頭の特集は「町おこし」についてだった。

よみがえれ 限界市町村

という特集のもと、人口を増やしたスーパー公務員とか、地方コンサルの裏側など6つの地方創生がらみの記事がある。「よみがえれ」の文字から連想されるような成功事例はわずかに2記事。あとはどれだけ地域創生が失敗しているのかについての記事だ、といってよい。

 この「地方創生」という言葉は、特集内でも喝破されているように助成金を受け取るための名目にすぎないケースも少なくない。

中央からすれば、「地方」で効果的に集権ないし集票するための撒き餌にすぎないし、熱心にやって失敗したら予想通り、成功したとしても失うものはないといった性質のもので、むしろ「生かさず殺さず」の状態になってくれればイザという時のために各方面が御しやすくなるというのが本音であろう。

『AERA』は左寄りのインテリ女性向け雑誌なので、反権力志向はそれなりに強い。強いが、最近では「地方創生」の文脈で語られることはこうした「邪悪なコンサル」であったり「ゆるキャラへの冷笑」であったり、青森県の知名度を一気にあげた「アウガ」(コンパクトシティ思想の犠牲となった大赤字ビルディング)だったりと、地方創生のネガティブな失敗を語ることが増えたように感じる。

もともとネガティブな失敗そのものが多かったのも事実だろう。でも、

ある時点から急に「『地域創生』は失敗に終わってほしい」という願望が読者の間に漂い始めたのではないか。

旧習に縛られた「田舎」をあざ笑う空気はネットを中心に根強くあった。しかし、ゼロ年代の後半から4,5年ぐらい前はもっと「地方」に対して活気づいてほしいという希望や願いが色濃くあったように感じられる。それは単に「スローライフ」がどうしたこうしたとか、ゆったりと時間が流れる街とか、美味しい野菜とか田舎の交流とかそんなレベルの事から、田舎を興して一旗あげようといった勢いもポジティブなものとして認められていた。

実際にはそううまくいかなかった。同時に、そのような「うまくいかない地方」を冷笑するような空気が情勢され、ほとんど同質(あるいはもっと悪質)な問題を抱える都会の生活が「田舎よりマシ」な場所として表象されるようになった。

実際そうなのかもしれない。

でも、そうでなくなる可能性もあるかと思う。

それはまだ少し信じてもよいものであるはずだ。

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