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「物」と「語り」を売ってください。

職人人生の物語はお金にならない。くそつまらない小説より買う気になれない。

物語に可能性があるとすれば、「物」と「語り」を分けられること、モノと違って、語りは複数用意する事ができることなのに。

私達が高額なモノを買う理由にはいろいろある。AとBとCがあって、かつてはAは明確に壊れやすいからCを買ったほうがよいというようなことがあった。日本産と中国産、というような産地の間には「安い」「悪い」の関係がトレードオフに存在していた。

でもいまはCもBもAもそれほど壊れなくなったし、壊れたとしても買い換えやすいAを選ぶ買い方をする。携帯電話などはその典型だろう。

値段はいくつかあるファクターにすぎない。

職人の人生もまたファクターの一つにすぎない。見ず知らずの人が作っているモノの、その作っている人の人生そのものはモノではない。出来とも値段とも関係ない。関係あるのは「情」であって、作り手側が願うほどの情をお金を介した関係でもつことは難しい。

でも、見ず知らずの人が作っていることで安心する場合もある

食料品だ。昨今安さを求めれば、生鮮食品の選択肢は無数にある。しかし安い値段で食べられるモノよりも、安心して食べられるモノを探すのも不自然なことではない。モスバーガーではトレーサビリティを重視して、野菜の生産者を明記している。これは「安くて危ない」かもしれないハンバーガーというファストフードであっても、安心して食べられるという語りの提供なのである。

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職人達の一点物を売るのに職人の人生以外にも様々な語りがありうる。

便利だとか、市販品ではないとか、美しいとか、おいしくなる、とか。そういう基礎的な広告的な語りを放棄して「安い」に負けちゃうのはもったいない。

それを人はブランドという。ただブランドというのは単一の「語り」でしかない。私たちが欲しているのでは「安全だが高い」と「安全で安い」の択一ではなく、たまたま、今日それを買わなければならない理由なのだ。

職人が作った物語だけではない。野菜を運んだ人、今売ってる人。かわいい段ボールの箱。企画をたてた学生。職人だって単に腕が立つだけじゃないだろう。アイドルのファンかもしれないし、料理大好きかもしれないし、夜に女殴ってるかもしれないし、定年退職したら世界一周に出かけようとしてるかもしれない。その全てが「買う動機」になりうるのだ。

それが提示できないなら買わない。ただそれだけ。

昔のことや未来のことを考えるための、書籍代や、旅行費や、おいしい料理を食べたり、いろんなネタを探すための足代になります。何もお返しできませんが、ドッカンと支援くだされば幸いです。