「心配」はしているって、そういうことなの?。―荒川チョモランマ『脱兎の見上げる』β版

なんどかいろんなところで荒川チョモランマという劇団については書いてきたからいまさらもう何も言うまい。一時期はまっていて、非常に推していた劇団だ。今面白いか、と言われたら、かつてほど(偽善者日記とか◎の魔法とか)の頃ほどは自信を持っては勧められそうにない……。正直にいってごめんなさい。近いうちに正直に言わない「正式版」にするので、それまでは覚え書き程度の内容で読者諸賢には我慢していただきたい。

つまるところ近作はいろいろなあれで駄作が多かったわけだ。でも、本当にまた久しぶりの公演となった『脱兎の見上げる』は素直にみてかなり面白かった。舞台芸術としては瑕疵も課題も多い作品ではあったと思う。

それでも、家族劇としての魅力、家族に打ち明けられない秘密を持つこと。他人を信じることと、愛すること、好きで居ることの間の埋めがたさ……多数の重苦しく押しつぶされてしまいそうなテーマを凝縮しながらも、コミカルで笑えてドキドキするような濃密な時間は、なるほどこれは演劇だなあという〈感じ〉が強くあった。

演劇はいい。いいと思う。

劇場に入ったときに「このくっそ小生意気そうな小娘はどっかで見たことがあるぞ」とか、「ゴウアー勢はいるかな」とか思ってしまう高揚感だったり、あるいは舞台が始まってしばらくしてからの、脈絡の無いダンスだったりとか、いろいろ織り交ぜられて作られる〈感じ〉はうまく説明できない。大劇場にスターを見に行くお祭りのようなそれとは違って、少し秘密の、花園の楽しみに似ている。子供の頃の夜のお散歩とか、バッタ見付けてつかまえる時とか。

ライブがよかったとかそういうのに似てるかもしれない。でも、その感じがあるだけで、長い帰り道の憂鬱も少しは晴れるというものだ。

で、どうだったのよ。

本作は一言でいうと「父帰る」型の「めちゃくちゃな家族劇」だけれど、構造的には二つの物語をさらに三つに分けた作りになっている。一つは引きこもりの三女の話、もう一つは帰ってくるお父さんの話。そこに「家の漏水」「長女の結婚と秘密」「お母さんのトラブル」が絡むという形。以前から時間軸の移動も含めてややこしい芝居を作っていたけれど、今作はそれに磨きが掛かっている。でもなかなか上手に処理していて、ちょっと劇団「MU」みたいな巧みさを身に付けてきたようだ。ただ、次女にも物語があるけれど、これは本筋とはうまく絡めなかったところがあって勿体なかった。

主催の長田莉奈も認めているけれど、本作は長田の家族をモチーフにした私小説だ。彼女は以前から何度も自分の家族をテーマにした戯曲を書いていて、それだけ「家族」に対する思い入れや慚愧の念があるのだろう。けれど、その「家族像」の裏側には、自分自身を除いて考えてしまう所があるらしく、本作では長田莉奈ポジションであるらしき次女の設定を生かし切れなかったのはいつも通り物足りなかった。キヨとゴーダの姉だったり、どこぞの劇団と一緒にやったときのあれだったりに通じる物足りなさを生んでしまったように思う。自分のことを描くのは難しい。それができるようになるまでまだ時間がかかるだろう。

それでも長年家族について考えてきた事がここで一つ結実して、それを理解してくれるたくさんの俳優に巡り会えたことはいろんな意味でよかったことだろうと思う。なんだろうね。お父さんみたいなことを言ってしまった。

演出面や、俳優達の練度にはかなり不満が残った。でもいろいろな失策を取り除いても、本作はなかなか訴えるものがあった。荒チョモ第二期以降の代表作になるんじゃないかな。ただ、日本のエンターテイメント劇団の代表作にはまだかなり遠い。遠いけど、ちょっとでも近づいていると僕は思う。

それにしても、引きこもりの三女をやった女優さんがえらい美人で驚いた。以前もでていたはずなのに、あまり印象に残っていなかった。いささか棒な演技とやや太めのふとももが気に掛かった(失礼を承知で言ってしまった)とはいえ、ラストシーンのきれいな啖呵には目を奪われる。ソニーアーティスツだったかな。ソニアの女優さん(モデルさんとかも含む)は小劇場系にけっこう出ている印象がある。どうなんだろう。もっと出して下さい。

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