見出し画像

第22回 上桑原城のたのかんさぁはにこにこ笑顔

こんにちは。阿久根市地域おこし協力隊のチャーリーこと濱田です。
またまた大好きたのかんさぁシリーズをお送りします。
今回は上桑原城の田の神様。

余談ですが6月から阿久根市に移住して半年が経ち、せっせとたのかんさぁ巡りをしていたらすでに見つけた数が51体!
残すところ6体ほどとなりました。記録によると赤瀬川の1体はかつて盗まれたという記録があり、上野のたのかんさぁは昔の地図からすると阿久根東郷線が通っている真下あたりなのですでに無い可能性も。あとなかなか探し出せないのが羽田のたのかんさぁ。この辺りを自転車でうろちょろしながら探すもどうにも見つけられません。阿久根市民の方で何か情報お持ちの方いらっしゃれば濱田までご一報くださいませ🥺

田の神探しに使っている地図です

さて本題ですが、上桑原城(←地名です)は阿久根市鶴川内にある海から離れた集落で田畑が広がり山が近いのどかな場所です。
私がこちらのたのかんさぁを訪れたのはもうすでに40体以上見つけてからだったのですが、驚いたのは周囲がきちんと囲ってあり両脇は花壇になっていて整地されていたこと。これまでもきちんと管理された神様もいましたがここまでちゃんと居場所があるのは珍しく、さらには表情もとっても愛嬌があるたのかんさぁだったのです。
調べてみるとこの神様にはモデルがいました。

囲いの中に鎮座するたのかんさぁ

時代は明治初年。この一帯は川という川がなく長谷池という用水を利用して稲作を行なっていて毎年農閑期になると総出で池を改修しその年の稲作に備えていたそうです。改修工事を進めていた際に「この機会に田の神を建てたらどうだろうか」と話が持ち上がると即座に建立が決まり着々と計画が進んでいきました。
建立日を3月の丑の日と定め、田の神像の製作にあたるのは長谷池改修工事に参加していた石膏の頭領の福永慶助。彼は阿久根市山下の石工の第一人者と呼ばれ彫刻の腕も達者な人物でした。慶助はその大役を引き受けると田の神像のモデルに桑原城の百姓六助を選びました。
六助はいつもにこにこ顔の愛嬌者で人々に愛されていたそうです。
(参照;阿久根のむかしばなし)

そうして作られた田の神像は現代になっても変わらず笑顔を絶やさずこの上桑原城の地を見守っています☺️

いかがですかこの笑顔

たのかんさぁのお顔を拝見した時にこんなにほっこりした気持ちになったのは初めてだったのできっと六助の愛嬌がしっかりと表現されているんだなぁと思います。
皆さんも是非会いに行ってみてください🤗

☝️上桑原城のたのかんさぁはこちら

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?