第30回 とっぼ(ぽ)どんの墓
こんばんは、阿久根市地域おこし協力隊のチャーリーこと濱田です。
赤瀬川の浦地区のぐい〜っとカーブする道沿い。そこには「とっぽどんの墓」と書かれた看板が立っています。また“どん“です、フゾドンの次はとっぽどん。もういっそ丼にして新商品でも出したいくらいです。
逸れました、すみません。
このお墓は、永禄4年(1561年)に阿久根に寄港したポルトガル船の船長アッホンゾ・ヴァスの墓と言われています。
阿久根には食料や飲料水、薪炭等を補給する目的で立ち寄ったそう。ところが、阿久根港(現在の倉津港)の人々は人情味があって協力的であったこと、港も天然の地形に恵まれた良港で冬を越すのに不自由ない土地であったことから阿久根港の魅力に惹かれたヴァスはここで越冬することにしました。
ヴァスはかつて駐在したインドの総督からの命で、各港の状況や好意的な港の周辺の調査が任務の一つであったことから毎日のように従者を連れ情報収集をしていたそうです。そんななかでヴァスは浦に住む2人の子を持つ未亡人と知り合います。幾度か会う内に2人は同棲するまでの間柄となりました。
この2人の噂はまたたく間に広まり、海賊船にも知れ渡ってしまいます。格好の襲撃目標とされたヴァスは未亡人の家に泊まっていた際に寝込みを襲われ敢えない最期を遂げてしまいます。同時に港に碇泊していた船も襲撃されましたがこちらはどうにか逃げ切ったそうです。
未亡人は浦の丘にヴァスを葬り、集落民が外仏(そとぼとけ)の墓として「とっぼとけ」と呼んだのが変化してとっぼどんと呼ばれるようになりました。
ちなみに阿久根市誌には“とっぽどん“、阿久根むかしばなしには“とっぼどん“、GoogleMapは“とっぼどん“。う〜ん…とりあえず統一して。
☝️【とっぼどんの墓】の地図です
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