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第17回 庚申信仰の謎に迫る

こんにちは、阿久根市地域おこし協力隊のチャーリーこと濱田です。
皆さんは庚申塔(こうしんとう)ってご存知ですか?
沖縄以外の日本全国に分布して建立されているのですが、この阿久根にもいくつか存在しております。

田代の庚申塚 たのかんさぁと並んでいます
これは塚というより塔の気がしますね
宝暦六丙子年十一月二十六日 村二才中

この庚申塚(塔?)の銘文は「宝暦六丙子年十一月二十六日 村二才中」
1756年の江戸時代中期にこの地区の青年たちによって建立されたものみたいです。

大山祇神社の鳥居横の庚申塚

鶴川内の庚申塚は宝永4年(1707年)に建てられたもの。
田代のものは建立年は不明みたいです。


庚申塔というのは記念碑みたいなもので庚申塚ともいいます。60日に一度巡ってくる庚申(かのえさる)の日の晩に夜通しで庚申講(こう)を行い18回(3年)続けた記念に庚申塔を建てたそうです。

この庚申(かのえさる)ってなんなのか。
これは十二支と十干(じっかん)の組み合わせで60通りあるうちの57番目にあたります。
十二支は皆さんよく知る干支のこと。
十干とは甲(こう)乙(おつ)丙(へい)丁(てい)戊(ぼ)己(き)庚(こう)辛(しん)壬(じん)癸(き)からなり、10日ごと(1旬)に繰り返される日に名前をつけたもので上旬、中旬、下旬という言葉の由来となりました。
この組み合わせを六十干支(ろくじっかんし)といい、古くからこれを年や日に割り振り日付としていました。

庚申講を行う由来は古代中国から伝来した道教の庚申信仰に基づいていて、面白い謂れがあります。
庚申(かのえさる)の夜に眠りにつくと人の体内に棲んでいる三尸(さんし)という虫が天に昇り天帝にその人の日頃の行いを告げ口するという教えがあり罪状によっては寿命が縮まると言われていたそうです。

そのため、寝ずに一夜を明かせば虫に告げ口されることなく寿命も縮まらないという考えから庚申講が行われていました。およそ2ヶ月に一度みんなで夜通し過ごす行事は、徐々に食べ物や飲み物を持ち寄るようになり歓談して過ごす集まりの場へと変化していったそうです。

ところでこの三尸という虫。
3つの虫のことで、上尸(じょうし)、中尸(ちゅうし)、下尸(げし)という名前で人間が生まれ落ちる時から体内に潜んでいて、宿り主の行いを天帝に告げ口をするのは宿り主の寿命が縮まり早く亡くなれば自分たちが自由になれるから、とのこと。

それぞれに特徴があって、「上尸」は道士の姿で頭の中にいて首から上の病を引き起こし、大食を好ませる。「中尸」は獣の姿で腹の中にいて臓器の病を引き起こし、宝貨を好ませる。「下尸」は牛の頭に人の足の姿で腰から下の病を引き起こし、淫欲を好ませる。

太上除三尸 九虫保生経に書かれている三尸の絵の模写

見た目は妖怪っぽくてよろしくないですが(特に下尸)、いずれもサイズは2寸ほどだそうで大体6〜7センチ?あら手のひらサイズ。
実際におててに乗せてみたらちょっとかわいいかもしれない。

たのかんさあを調べていたら庚申講の供養碑として田の神像を建てることもあったようで、鶴川内の萇野(へごの)のたのかんさぁ(建立年不明)がその一つだそうです。色々繋がって面白いです。

やや躍動感ある佇まいの萇野のたのかんさぁ

ちなみに次の庚申の日は12月28日みたいです。年末ですね〜、皆さん忘年会やらなんやらで言われなくても夜通し起きてる人は多そうです(笑)
近くで庚申塔を見つけたらその地区の先人たちが庚申講を行なっていたんだな、と思いを馳せてみてください。

☝️田代の庚申塚とたのかんさぁ

☝️脇本の伊勢神社

☝️鶴川内の大山祇(オオヤマヅミ)神社

☝️鶴川内の萇野のたのかんさぁ

次回は【久保下のたのかんさぁ】をフシギ発見🕵️

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